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コラボをきっかけに“復活”したモンスターマシン

デ・トマソ926Rのスケッチ
デ・トマソ926Rのスケッチ

さらに、デ・トマソとのコラボレーションはダイハツの持っていた、いや正確にいえば隠れていたもう一つの伏線を掘り出してしまった。1960年代後半、ダイハツはワークスチームを抱えミッドマウントエンジンのプロトタイプカーを開発していた。しかし、その活動もトヨタのグループにダイハツが編入されたことにより1969年以来封印されていた…。しかし、このデ・トマソとのコラボレーション開始と時期を同じくして再びモータースポーツへのアプローチが始まったのだ。

シャレード926ターボ
1984年に発売されたグループBのホモロゲーションモデル、シャレード926ターボ

DRS(ダイハツ・レーシング・サービス)ワークスは再び活動をはじめ、そのベースとなったのがシャレードであった。全日本ラリーなど、機動性の高いシャーシ性能を活かして積極的にモータースポーツへ関与する姿勢を見せ、1984年にはシャレード926ターボが登場する。WRCグループBの1300ccクラスにノミネートするため、当時のターボ付加による1.4倍という係数をクリアすべく、排気量を926ccへと抑え、200台の限定生産を行った。

これはダイハツとしてモータースポーツ仕様モデルを初めて市販するという一つの“事件”であった。さらに、その勢いに乗じて1985年の東京モーターショーにはとんでもないマシンが発表されたのだ。

シャレード デ・トマソ926Rのプロトタイプ
1985年の東京モーターショーに出展された、シャレード デ・トマソ926Rのプロトタイプ

デ・トマソ926RはDOHC12バルブターボエンジンをシャレードの後部座席に横置きミッドマウントした、まさにルノー5ターボのようなスーパーカーであった。左右のドアパネル以外は全て新たに作られ、ワイドトレッド化した足まわりは全輪ダブルウィッシュボーン。インテリアもショーカーではアルカンターラが貼り込まれた豪華仕様であった。

シャレード デ・トマソ926Rのプロトタイプ
シャレード デ・トマソ926Rのプロトタイプ

このモンスターマシンのエンジン開発はダイハツが行い、スタイリングからシャーシ開発は全てデ・トマソが担当した。そのスタイリングはもちろん前述のアンドレアーニによるもので、ランニングプロトタイプがショーに間に合わせるべく突貫工事で製作され空輸された。商品化へ進んでいたデ・トマソ926Rだが、なんと1986年にWRC グループBが急遽消滅してしまう。残念なことにこのプロジェクトは消滅してしまった。その後もシャレード各世代のデ・トマソ仕様は1998年までカタログに載ったが、正直なところデ・トマソ ターボのようなインパクトには欠けていた。

シャレード デ・トマソ926Rのプロトタイプ
シャレード デ・トマソ926Rのプロトタイプ。インテリアにはアルカンターラが用いられている。

デ・トマソは会社清算の後、ブランド再建中であり、イノチェンティはブランドとして消滅してしまったが、ダイハツとのコラボレーションを行った80~90年代のストーリーは同時代を生きた我々日本人カーエンスーの心の中に今も生きている。当時、ごく当たり前に受け止めていたこれらのプロジェクトは今、考えれば、かなり“やんちゃ”なものだった。

小さなクルマにこんな真剣に皆が熱くなった“時代”がまた来ることを私たちオールドタイマーは願わずにはいられない。

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文・写真=越湖信一 写真・取材協力=Pierangelo Andreani(Andreani Design sas)、ダイハツ 編集=iconic

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