【中井貴一の好貴心】富士山麓で学んだ、人と犬との付き合い方
犬と人間との関係を考える上で、クルミが盲導犬の生涯を描いた映画「クイール」の現場からやってきたこともあって、盲導犬の存在にも以前から関心があり、盲導犬に携る人たちの思いや苦労も聞いてみたいと思っていた。日本盲導犬総合センター、通称「盲導犬の里 富士ハーネス」は、日本で唯一、常時見学可能な盲導犬訓練施設と聞き、今回訪ねることにした。
富士山の雄姿を間近に臨む、静岡県富士宮市の絶好のロケーションに「富士ハーネス」はあった。開所は2006年10月。ここで盲導犬の一生をトータルにケアし、盲導犬を養成し、盲導犬に関する情報発信地としての役割も担っているという。
訪ねた時に訓練に入っていたワンちゃんは20匹ほど。ここで誕生したラブラドールの子犬は、母犬や兄弟姉妹犬たちと約2ヶ月間過ごし、その後12ヶ月までパピーウォーカーと呼ばれるボランティアの家庭で育ち、人間との交流を体験する。その期間を終えると訓練センターに戻り、訓練を受けながら盲導犬としての適性を判断される。向いていると判断された犬は、視覚障害を持つユーザーとの共同訓練へと進み、その過程がうまくいくと、ユーザー宅で盲導犬としての生活が始まる。それがだいたい2歳の時。盲導犬としての引退となる10歳まで同じユーザーのもとで約8年間過ごし、その後は引退犬飼育ボランティア宅や、富士ハーネス内の引退犬のための部屋で穏やかに暮らすことになる。
盲導犬になる子は全体の30~40%と思いのほか少ない。適性を認められなかった子たちはキャリアチェンジ犬と呼ばれ、理解促進活動を行うPR犬や、ボランティア家庭でペットとして過ごすなど、性格に合った道に進むことになる。
富士ハーネスの施設内では、点字ブロックや障害物を設け実際の道路を模した廊下で、PR犬と一緒に歩くデモンストレーションを体験し、生まれたての子犬たちと触れ合う時間も持てた。リタイア犬の部屋では、穏やかに過ごす子たちの手を取ると、年老いて歩行もままならなくなったパイランやクルミに対して愛おしさが増していった気持ちが蘇ってきた。そうしながら、盲導犬事業に関わる人たちのご苦労にも思いを馳せることになった。
訓練士には2つの資格がある。まず犬の育成・訓練を行なう「盲導犬訓練士」の資格。これに合格し、規定の訓練を行うと、盲導犬の訓練に加え、視覚障害を持つ人に盲導犬との歩行を指導・サポートする「盲導犬歩行指導員」の受験資格が得られる。盲導犬訓練士の学校に入ってから、この資格取得まで、おおよそ5年を要するそうだ。
大切なのは、犬の訓練だけでなく、人間の訓練が組み込まれていることだ。訓練士が犬に対してストレスがかからないよう最大限に配慮し、自身も犬から様々なことを教えられながら接するのはもちろんだ。また、盲導犬ユーザーとなることを希望する人も、富士ハーネスに2週間宿泊、その後は自宅に戻って2週間、犬の性格を理解し、指示の出し方や、犬に合ったアプローチの仕方を訓練士と共に学ぶ。盲導犬と一緒にどういう人生を送っていきたいか、日常的にどんなライフスタイルを送っているのかを、訓練士は全て聞き取り、歩き方の特徴や速さも確認する。視覚障害のある方は、人によって心の中の不安や求めるものも異なる。それを理解し、犬の性格も考慮しながら、人間に犬との付き合い方を指導し、マッチングさせていくのは、何と大変なことか。
ユーザーからは、盲導犬から教えられたという声も多いそうだ。ユーザーは犬から愛をもらっているのだ。一人で歩いている時には感じられなかった生きる力を犬が与えてくれるのだ。
しかし、盲導犬に対して動物虐待ではないかという、厳しい声も寄せられるそうだ。盲導犬を連れているユーザーに対して「ワンちゃんはお利口さんなのにね、可哀想ね」と悪気もなく声をかける人もいるという。その言葉に「2度目の失明をした」とショックを隠せないユーザーもいる。何よりも犬を最優先し、ストレスを与えない環境や条件を整えているのに、理解が届いていないことを、富士ハーネスの職員の方は悔やまれていた。盲導犬の権利を守り、広げていくのは、訓練士ではなく、ユーザーのほうなのだと思う。だからこそユーザーには、胸を張って盲導犬と付き合ってもらいたい。それがユーザーのモチベーションにもつながることなのだから。
「甲斐からの富士を眺め、改めて犬と人との絆に思いを馳せる」
富士ハーネスを後にすると、今夜の宿となる「ザ センス フジ」に向かった。富士ハーネスのある静岡からの富士山を表富士、山梨側からを裏富士と呼ぶことがあるようだが、私はこの言い方には、いささか疑問がある。というのは今から35年前、私が武田信玄役を演じたNKH大河ドラマ『武田信玄』でこんなシーンがあった。
甲斐の武田晴信(後の信玄)、十八代目中村勘三郎さん演じる駿河の今川義元、杉良太郎さん演じる相模の北条氏康の3大名が三国同盟を結ぶために、駿河の善得寺で会談する。その席で今川義元が「甲斐から見る裏富士もまた別の味わいでござろう」と発言したのに対して信玄はこう反論する。
「甲斐では誰一人、裏富士などとは申しませぬ。古来、この霊峰富士の正面とは、手前に小山重なり、その後ろに裾野隠して聳え立つ姿を申すそうじゃ。霊峰富士は、霊験あらたかにして拝む山にござりますれば、下は隠してこそ正面。尻丸出しの姿では、霊験も消えてしまうというものだそうな」
武田信玄を演じた自分としては甲斐、つまり山梨側からの富士にも思い入れがあり、その姿を堪能できる宿をスタッフが探してくれたのだった。
全室コテージタイプで、グランピングとはまた異なるのだが、自然との一体感を感じられるしつらい。そして何よりも甲斐側からの裾野を隠した霊峰富士が、頂上を露わにしたかと思えば、また雲の衣を纏い、時々刻々移ろう陽射しを浴びて様々な姿を見せてくれるのを満喫した。
夜になると、富士の稜線にぽつぽつと灯の点滅が見えた。すでに入山期間は終了していたから、管理関係者のものだったかもしれない。それを見ながら、登山シーズン終了時に、今年も富士山のゴミ問題がニュースになっていたことを思い出した。
富士山を汚している人は誰なのか? 山に関心のない人は、富士山に登りはしない。富士山が好きな人たちがゴミを残していく。それと同じで、犬の権利を奪っていくのは、犬が好きな人たちなのだ。飼い主が犬のことを理解せず、横柄になるほど、犬に対する風あたりも強くなり、周囲の理解も遠のく。犬を好きでいればこそ、飼い主が犬の権利をしっかり守ってやるように生活しなければならない。
盲導犬にはならず、別の道を進むことになったキャリアチェンジ犬や、任務を終えたリタイア犬を受け入れる飼育ボランティア希望者は多いという。しかし、在宅期間が少なかったり、飼育者が高齢だったり、先住犬が多かったり、飼育環境に問題があったりと、安心して託すことのできる家庭はかなり限られるのだそう。
昨今、コロナ禍の影響もあってペットの需要が増していると聞く。しかしペットが飼い切れなくなるケースも、それに伴い増加しているようだ。大切なのは、人がどうあるべきか、なのだ。
犬を散歩させれば、当然排泄をする。それを処理するのは常識だと思うが、そうしない飼い主もいる。すると、犬の嫌いな液体をまかざるを得なかったりする。しかし本来、犬に罪はない。嫌な臭いをかがされるべきは、飼い主のほうなのだ。動物を飼うことを通して、人が律せられることがあるのではないか。それがあれば、動物も人と一緒にいることに幸せを感じ、人と人同士も幸せを味わい、本当の癒しがあるのではないだろうか。
今、世界にはキナ臭い空気が蔓延し、罪のない人々が血を流し、命を奪われている。こうしたことは、動物を飼うことと別次元の話と思われるかもしれないが、そうではない。私自身、犬を飼うということは人間が訓練されることであり、それを通して人間が横柄になってはいけないことを教えられたと思っている。人間が犬によって豊かさを感じ、成熟させてもらうのだ。戦争の根底にある感情は、その対極にあるものだ……と私は思う。
公益財団社団法人日本盲導犬協会 日本盲導犬総合センター
「盲導犬の里 富士ハーネス」
住所:静岡県富士宮市人穴381
TEL:0544-29-1010
URL:
https://www.moudouken.net/
富士山を望みながら、自然との一体感を満喫する宿泊体験
「THE SENSE FUJI」
富士レイクサイドカントリー倶楽部13番ホールに隣接したロケーションに、テラスヴィラ3棟、スイートヴィラ9棟、プライベートサウナを備えたサウナヴィラ3棟が点在。富士山を臨む温浴棟には、サウナも用意されている。
住所:山梨県南都留郡鳴沢村字富士山8545番5
TEL:0120-22-7774
URL:
https://www.thesense.jp/fuji/
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[MEN’S EX Winter 2024の記事を再構成](スタッフクレジットは本誌に記載)