作為と無作為の狭間を目指して
倉本 聰が温め続けた映画『海の沈黙』に主演する本木雅弘さん。作品を振り返る言葉に、役に真摯に向き合うということは、こうまで過酷なのか、という思いを禁じ得ない。
10代でデビューし、40年以上のキャリアを重ねて熟成されたものと、戸惑う若者のような瑞々しさが同居する、他にない個性がスーツを纏った姿から、渋く、まばゆく、溢れ出す。
スーツで味わう、鎧を着て戦うエネルギーアップした気分
――M.E.にご登場頂くのは約9年ぶり。特集テーマの“ドレスコード”に合わせて、今秋冬のスーツやアウターをお召し頂きました。
本木 スーツを気楽に、遊んで着られる境地に憧れて、ビスポークでスーツや靴を誂えたりした時期が40代の頃にありましたが、今、ちょっとスーツから離れてしまっているんです。着ることの面白さを知った原点が1980年代のデザイナーズであったり、アンダーグラウンドでパンク的な要素があったりするもので、やはりそのテイストが嫌いじゃないんですね。どこか破壊された部分がある服や、シンメトリーよりはアシンメトリーなものを纏っているほうが落ち着くんです。ですが、今回久しぶりにスーツを着て、男性的な硬質さを際立たせる、ある意味、鎧を着て戦えそうなエネルギーアップした気分を味わえました。加えて、着心地やエレガンスを追求した、男性の秘めた優しさや色気を醸し出す雰囲気もあったりしました。スーツはある種、制服的なところもありますが、それだけに着る人のキャラクターが如実に出る。スーツが持つ幅のある面白さを久々に実感できました。
倉本 聰作品に初出演した戸惑いと驚き
――さて、本木さんは11月22日公開の映画『海の沈黙』に、孤高の天才画家・津山竜次役でご主演。『北の国から』など数々の名作を手掛けた脚本家・倉本 聰さんが長年構想を温め、「どうしても書いておきたかった」作品とのこと。倉本さんの作品には初出演だとか?
本木 『北の国から』の放送が始まったのは’81年からだそうですが、ちょうどその頃、私は学園ドラマでデビューして忙しい日々を送っていたので、この作品は目にしていながら、存分に向き合うことはできていませんでした。倉本先生の作品は、大きな人間愛や男の器量を描くものが多い印象を持っていましたが、私は、わりとくよくよするタイプですから、先生の世界は、おそらく自分の柄ではないだろうと、やや距離を感じていました。ですが’90年代半ばに放送されたドラマ『涙たたえて微笑せよ』で、天才と狂気の間を生きた大正期の作家、島田清次郎を演じたのを倉本先生がご覧になって、記憶にとどめておられたようです。その後、あるドラマの企画段階で一度会いたいというお話があったんですが、なんとなく立ち消えになってしまい、ご縁がないかなと思っていたところに突然お声がけ頂き、手繰り寄せられたという感じでした。
――倉本さんの思い入れの深い作品にどんな準備をして臨まれましたか?
本木 この作品の前に、ラグビー界を牽引された平尾誠二さんと、ノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥さんとの最後の1年の交流を描いた『友情』というドラマをやっていたのですが、平尾さんを背負うことにもの凄くエネルギーを使い、なかなか次の作品のことを考えられなかったんです。そもそも自分は、作品の掛け持ちができない以前に、前の作品に被って次回作の準備ができないタイプ。直接演技に反映しなくても、自分の不安を埋めるために、あるいはわずかな自信を掴み取るために、関連した文献や映像をシャワーのように浴びないとカメラの前に立つことができない。ですが『友情』が終わって『海の沈黙』の撮影が始まるまで1ヶ月ぐらいしかなく、ものすごく準備が足りない状態でした。倉本先生の60年以上にわたる仕事を追いかけるのは到底無理ですから、困り果ててしまって。
――撮影前に倉本さんとはお会いになったんですか?
本木 クランクイン直前の記者会見のときが初対面で、事前にお目にかかることが叶わなかったのですが、一度思い切ってお電話させて頂きました。直接声を聞いて、何か拠り所となる言葉なりフレーズなりを頂きたくて。30分という約束でしたが、結局1時間半ほどになり、倉本先生は「とにかく、あなたが感じるようにおやりになればいいんですよ」と、励ましてくださいました。倉本先生は何かのインタビューの中で「’70年代の終わりか’80年代始めあたり、映画やドラマが感動を与えるものから、快感に走り刹那的になってしまった」と語られたのを目にしていましたが、倉本先生の作品は、想像力以前に、ご自身の幼少期から現在に至るまで、その心身で感じ取ったものから生まれていることが、その電話の会話の中で分かりました。全てにリアルで人間的な裏付けがあり、その組み合わせでストーリーが作られている。今回の作品にも強く普遍的なメッセージや問いがあり、これを役の現実に落とし込むのが難しいという気持ちもありましたが、お話を伺って、目指す方向が少し見えたことは収穫でした。