富士山麓で学んだ人と犬との付き合い方【中井貴一の好貴心】ー前編

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中井貴一の好貴心
公益財団法人 日本盲導犬協会には、全国に4ヶ所の盲導犬訓練センターがある。その中で、常時見学可能な施設が日本盲導犬総合センター、通称「富士ハーネス」。富士山の麓に位置し、訓練犬棟、親子棟、引退犬棟、多目的トレーニングルームなどからなる。雄大な富士山をバックに訓練犬と触れ合う中井さん。

【中井貴一の好貴心】富士山麓で学んだ、人と犬との付き合い方
「人間が犬に家族になってもらうために、すべきこと」

五年の時を経て、M.E.誌上に戻って参りました。ご無沙汰を致しました。当然の如く、時を経た分、歳をとるわけでありまして、人生の節目、還暦なるものも超えさせていただきました。自分としては、何も変わっていないのに、背番号だけが大きくなっていく感じ……この歳になったからなのかは分かりませんが、1年の過ぎ去る速さに驚愕し、愕然とする今日この頃なのであります。

世の中では、この間に物騒なニュースを目にすることが多くなりました。人間の持つ、欲、業からの争い。そこから、派生したであろう気候変動による災害など……気の滅入るニュースが山のよう。そこで、その真逆にあるもの。私の人生においても私を成長させてくれた最愛のパートナーを、今回のテーマに選ばせていただきました。さて、しばしの、お付き合いを。

富士ハーネス
富士ハーネス内の親子棟にて。

「犬―それは人生に於いて、私を成長させてくれた最愛のパートナー」

物心ついた頃から、私の傍には犬がいた。亡くなった父が残した「富士」という名の秋田犬と、「バディ」という名のコッカー・スパニエル。話によるとどちらもいただいたものらしかった。幼稚園に入るか入らないかの頃であったので、おぼろげな記憶であるが、「バディ」は黒の癖毛で、家の周りを走り回り、「富士」は、おとなしい性格で、私を背に乗せてよく遊んでくれた。そして、この子達との別れの時のことは、はっきりおぼえている。

その後も、何頭かの犬たちが我が家にやってきた。私が子どものころは、響きは悪いが、「捨て犬」と呼ばれる犬が今よりも多く、子ども心の勝手な可哀想という思いだけで、雑種の成犬を連れ帰ったこともあった。母は、困り果てた顔をして私を見つめ「可哀想だと思うことは悪いことではない。でもね、貴方が拾ってきたのはモノではないのよ。命なのですよ。人も犬も同じ生き物。なんの違いもないの。毎日ご飯をあげなければならないし、散歩もしなければならない、病気になったら、お医者さんにも診てもらわなければならないの。この子を生かしてあげる事、貴方できる? 責任もてる? できないのであれば、逆にこの子が可哀想になるの。よく覚えておきなさい。知らないからね。ちゃんと、自分でやりなさい」と、強い口調で叱責した。そっぽを向いた母であったが、その翌日から、せっせと、この子に餌を上げ、天寿を全うするまで一番可愛がってくれたのも、母であったように記憶している。幼すぎて、責任という言葉の意味深さまでは分からなかったが、命に区別も違いもないということを植え付けられたのは、この時であった。そのこともあり、その後も、犬を買ったことは、一度もない。犬も縁で出会い、我が家に間借りしにやってくるものであると思うようになった。

大学に入り、仕事を始めた年、馴染みのガソリンスタンドで、子犬をもらってくれないかと呼び止められた。スタンドのおじさんの手の中には、二匹の雑種の子犬。しばらく、犬とは距離があったものの、その愛くるしさに負け、黒の子犬を預かることにした。この頃はまだ、実家暮らしであったため、母の反応が気になったが、子犬の威力は絶大。「あら、可愛い」と、小言のひとつもなく、この日から、この子は、愛ちゃんと名付けられ、我が家の一員となった。

その4年後、映画で初めての京都での時代劇に臨んだ。撮影も半ばを過ぎた頃、その日は、ある川の河川敷での撮影。ところが、朝から本降りの雨。大概こんな時は、天気予報を見て撮影中止になるのだが、どういう訳か、この日は決行するという。早朝から扮装、メイクして、片道2時間程の道のり。軽く抵抗はしてみたもの、若輩のいうことなど聞き入れて貰える訳もなく、出発に。この時は、火野正平さんとご一緒に、タクシー移動。真新しい着物に、丁髷を付けての移動のため、眠ることもできず、クタクタで現場到着。すると、現地は晴天……の訳もなく、出発時より酷い雨。「暫く、車の中で待機をお願いします……」のアナウンスがあり、正平さんと世間話。30分経ったぐらいだったか、どこからか、ミーミーという声がする。「あっ!」と正平さんが声を上げた先に目をやると、雨でびしょ濡れになった、生後数日と思われる子犬5匹が震えて座っていた。とっさに二人で雨の中車から降り、子犬を車内に。震える子犬を温めようと、気は引けたが、真新しい衣装の懐に。結局、この後撮影することなく、撮影所に戻ることになった。

普通であれば、「だから言わんこっちゃない……なんで朝判断してくれないんだ!」と腹立たしい気持ちになるところだったが、この子たちに呼ばれたのだねーなどと正平さんと話しながら笑顔での帰路となった。撮影所に到着後、責任だからと、このうちの1匹を連れ帰ることに。東京に戻り、この子はムーちゃんと名付けた。ガソリンスタンドから来た愛ちゃんとの相性が心配であったが、何の問題もなく、2匹は生涯の友となってくれた。4つの歳の差があったが、10年以上生き、愛ちゃんが亡くなると、それを追うようにムーちゃんも生涯を終えた。犬たちとの別れは、何度も経験をしてきたつもりだったが、人として成長するにつれ、その辛さはより大きくなるものであると感じた。つまり、これは、子どもの頃に、母に言われよく分からなかった責任というものを強く感じられるようになってきた証なのかもしれない。

二匹を送ってから、もう暫くは……と思っていたのだが……。

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