卒業後、イタリアへ短期間渡って、帰国。そしてコルウへ就職という流れでしたか。
はい。帰国したのが、22歳か23歳だったと思います。憧れだったコルウにもう一度お願いをして入社しました。コルウの仕立て方、パターンは、これまで学んだものとも違って、一から改めて勉強です。洋服づくりのすべてを社長である加納康弘から、販売と接客を専務の嶋田良二から学んで、いまがあります。
師匠に恵まれていらっしゃるんですね
ほかにもたくさん腕利きの職人さんがいるのが神戸の良いところです。洋服だけでなく、靴や鞄づくりを近くで見ることができて、恵まれていると思います。特に可愛がってもらっているのが、(ビスポークシューズの)スピーゴラの鈴木幸次さん。鈴木さんとは、よく一緒に飲みに行きましたね。靴だけでなく、鈴木さんがフィレンツェで仕立てたスーツを拝見するなど、多くのことを勉強させてもらいました。コルウに入社したことで、神戸でものづくりをしている職人の輪に入れてもらえて本当によかったです。
千葉県育ちで東京の学校に通学していたのに、なぜ、神戸のテーラーを選ばれたのでしょうか?
コルウの服が持つ雰囲気に惹かれたからです。イギリス、イタリア、アメリカそれぞれのスーツ、そして日本の伝統的な仕立てのスーツ、それらのどれとも違う雰囲気に魅力を感じました。
入社してなにか印象的なできごとがあれば、ぜひ。
お店に保管されているいろいろな洋服のなかに、落合先生がフランコ・プリンツィバァリィで作られた一着があったんです。自分の入社のきっかけになった落合先生の洋服が保管されていたことは衝撃でした。
職人修行中、練習用にもらった生地で自分でもスーツやジャケットを作ってみました。基本のパターンを補正して、ラペルの幅や肩傾斜などを自分用にアレンジするんです。そのときはまだ、若かったこともあって少しモード風に工夫したこともありましたね。でも、大体の場合、気に入らないんです。元のパターンが優れていて、ハウススタイルが完成されているから、手を加える必要がなかったんです。