まずは幼少期の様子からお聞かせください
「とにかくじっとしていられない、落ち着きのない子でした。幼稚園に通っているときも、つねにキョロキョロしているんです。おかげで、小学校低学年の頃の通知表にはいつも『落ち着きがない』と書かれていました(笑)」。
ということは活発だったわけですか? それともインドア派?
「家にいるよりも、外で遊ぶのが好きでした。テレビゲームもない時代でしたから、ベーゴマやローラースケートをはじめ、昭和の遊びはなんでも一通り。運動も大好きで小学校時代は野球、サッカーなど球技に取り組みました。中高は6年間バドミントン部です。でも中学時代は先輩に駆り出されてサッカー部も掛け持ちしていました(笑)」。
クラブでの成績はいかがなものでしたか?
「メインで取り組んだのはバドミントンで成績は中の上くらい。高校のとき、国体予選で新潟県のベスト8、団体でも県のベスト8に入ったのが自己ベストですね。学校の成績を含めて、なんでも中の上くらい。いや、勉強は中の下くらいでしたね。とにかく欲がなくて上位を目指す気があまりなかったんですよ」。
そんなスポーツ少年が、いかにしてファッションに目覚めたのでしょうか?
「目覚めは小学校中学年くらいです。とにかくカッコいいものが着たかった。当時すでに親の買ってきた洋服にも好き嫌いがありました。たとえば1970年代はベルボトムが流行っていたので、そういうジーンズが欲しいとか、サファリ風のジャケットが着たいとか、母親にいろいろとねだっていました」。
「父方の祖父は靴職人。また、母親の実家が羅紗屋(らしゃや/服地の商社や、問屋、小売店)でした。新潟県にあった大きな2軒の羅紗屋のうちのひとつで、親戚にシャツの仕立て屋、洋裁屋など、ファッションにまつわる人が多かったんです。1960年代後半にオーダーメイドが斜陽になり、既製服が台頭します。その頃、祖父が事業の多角化のために既製服を扱うメンズショップを始めました。当時はエイボンハウスやアクアスキュータム、ランバンなどを取り扱っていました。私にもそうしたファッションにまつわる血が流れているのでしょう」。