生まれついてのファッションの家系だったんですね。次のステップは?
「中学生時代です。1960年代にVANが流行し、1970年代にもアイビーファッションは残っていました。私は最後のアイビー世代。3歳上の姉がアイビーだったため、その影響で中学1年生から『メンズクラブ』を読み始めました。繁華街のある学区の中学校でしたから、私の学校はみんながオシャレ。制服も規則は甘かったので、先輩たちはタータンチェックの裏地の学生服を着ていたり、パンツのヒップポケットからタータンチェックのハンカチをのぞかせたりしていて、とても影響を受けました」。
中村さんご自身の制服は?
「パンツの裾巾をつめて穿いていました。そして学生鞄ではなく姉からもらったブラックウォッチ柄のクラッチバッグを持って。学生服にステンカラーのコート、足元はローファーが基本でした。周囲はリーガルを履いていましたが、私は靴屋の子どもなのになぜかハルタ(笑)。当時のアイビーは不良のファッション(※)です。生意気でしたから、下校時に繁華街で高校生にカツあげもされました(笑)」。
※現在のイメージと異なり、当時のアイビーファッションは不良も好む、流行の装いだった。
アイビーの次に夢中になったものはなんでしたか?
「高校になるとトラッドにも変化が生まれてきて、プレッピーやアウトドアファッションに関心を持ちました。そのあと、DCブランド(※1)が登場しますが、これはほんとにつまんだ程度。自分が着るとどうしてもトラッドぽくなってしまいましたから。私にとって印象深かったDCは菊池武夫さんが手掛けていた時代のビギ。『傷だらけの天使』(※2)の世界が私にとっては『これぞDC!』でした。ほかには松田光弘さんのニコルや、小栗壮介さんのバルビッシュが人気だったのを覚えています」
※1/デザイナーズ&キャラクターブランドの略。新進のファッションデザイナーや新興のアパレルメーカーによって小規模に展開された個性豊かなファッションブランドがこう呼ばれた。
※2/1974年~1975年に放送された萩原健一主演のTVドラマで、ビギが衣装協力を行っていた。ビギが各地のファッションビルや百貨店で大々的に展開されてDCブランドブームが起こるのは、のちの1980年代に入ってからである。
大学進学でファッションに変化は?
「大学進学で東京に出てきました。すると、オシャレはDCだったんです。ビギやニコル、すでにコム デ ギャルソンやワイズもありました。上京して最初の1年くらいは、少しつまむ程度に着ましたよ。その後、スーパーカジュアルのブームが起きたんです」
スーパーカジュアルってなんですか?
「これ、意外と知らない方が多いですよ。マリテ+フランソワジルボーというデザイナーが作っていたクローズドというブランドの9分丈のペダルプッシャー(※)から火が付きました。立体ジーンズの先駆けで日本のデニムメーカーもこぞってマネをしたんです。この流行がスーパーカジュアルと呼ばれて、当時はファッション誌にもよく取り上げられていました。私はTシャツ、ビッグシルエットのブルゾン、トップサイダーのデッキシューズとコーディネイトしていたんです」。
※自転車に乗るときに裾が邪魔にならないように配慮されたことに由来する細いパンツ。
「1年間ほど盛り上がりはすごいものでした。ところが、クローズドがモーダラインを打ち出して、スリムからワイドにシルエットを切り替えたことでブームが終わってしまったんです」。






