中村達也さんに聞いた、ちょっと裏話「ビームスFがイタリア物を積極的に導入した理由」

bool(false)
Facebook
Twitter
友だち追加

これまでビームスFが、クラシックスタイルを提案してきたことは多くの読者がご存じだと思う。いまでこそ、イタリアのクラシックなブランドがずらりと並ぶ、ビームスFだが、実はかつてはそうではなかった。

連載「ファッション履歴書」の取材の折、ビームスのクリエイティブディレクター 中村達也さんに、ビームスFがイタリア物をクローズアップしていった背景について話を聞いた。

中村達也さんといえば、イタリア物に傾倒している人物と多くの人が理解しているはず。でもご本人によると、実は必ずしもそうではないという。1989年、中村さんが初めてイタリアに出張したころ、イタリアのクラシックはまだメジャーな存在ではなかった。当時の人気ブランドは依然としてアメリカ、英国、フランスものだったのである。

「90年代中頃から徐々にイタリアンクラシックブームが起こり始めました。並行して英国のニューテーラー(※)にも注目が集まって、これが当時の両雄となっていたのです。が、ニューテーラーは次第にブームが沈静化。その後、英国のブランドが会社を、ファンドやほかの国の会社に売却するようになりました。工場が閉鎖されたり、経営者が変わったり。英国のブランドが効率を考えるようになった時代です。私たちもそうした状況を見て、英国製品の買い付けに限界を感じるようになりました」。

※リチャード・ジェームス、オズワルド・ボーテングなど、ビスポークのテーラリングを現代的に解釈したブランドが新時代の英国スタイルとして注目された。
チャーチの製品「ライダー」。チャーチは中村さんが新人の頃からビームスFで取り扱われている英国ブランドの一つだ

そこでセレクトショップが目を向けたのが、イタリア物だったのである。中村さんによると、イタリアにはファミリー経営の企業が多く残っていて、あらゆるアイテムが小ロットで発注できたり別注できたりと、条件がよかったという。

「世界的なファッションの生産基地がイタリアに集中していったわけです。私は国を問わず、いい製品を作って提案することはお客様の幸せになると信じていました。確かに英国の好きなお客様や、社内のこだわる方から、ビームスFがイタリア物へシフトしたことについて批判的な反応もありました。でも、英国からイタリアへ切り替えたことでビームスFは成長できたわけです。社内でも頑固者と思われていた私が、このとき柔軟に対応できた。このことを自分で褒めたいですね(笑)」。

2024

VOL.341

Spring

  1. 1
2
LINE
SmartNews
ビジネスの装いルール完全BOOK
星のや
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE
pagetop