紆余曲折を経たランボルギーニの未来を懸けた野望。手頃なサイズの2+2シーター「ウラッコ」(後編)

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紆余曲折を経たランボルギーニの未来を掛けた野望。手頃なサイズの2+2シーター「ウラッコ」(後編)

時代を造ったクルマたち vol.24



受難続きだった“911キラー”

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ウラッコはポルシェ 911をターゲットとしたランボルギーニの戦略モデルであった。同時に発表されたカウンタックをイメージリーダー、そのDNAを引き継いだ量産モデルをウラッコというコンビネーションで、満を持しての登場であった。コンパクトな2+2でありながらも8気筒エンジンをミッドマウントするという、まさに911キラーのハイパフォーマンスカーを目指したワケだ。

しかし、天才エンジニア、パオロ・スタンツァーニにとっても、ウラッコのデリバリーに向けては想定外な出来事の連続であった。第1は突然に世界の自動車産業を破壊したオイルショックの到来であり、ランボルギーニのようなスポーツカーのマーケットは壊滅的なダメージを受けた。

第2になによりも頼りにしていた創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニが、段階的に所有株式を手放していき、1974年には自動車事業の経営から完全に手を引いてしまったことだ。そのため、パオロはカウンタックとウラッコという両プロジェクトを生産開始へと持ち込むことで力果ててしまったのだ。

さらに言えば、ウラッコのコンパクトにこだわった斬新な設計、そしてコンポーネンツの品質が安定しなかったこともあり、初期ロットにはトラブルが頻発し、ウラッコの先進性を理解する顧客は決して多くなかった。つまりあまり売れなかったのだ。

もちろん、当初パオロが目指したモノコックボディ製造ラインの内製化などはほど遠い夢となってしまい、結局ベルトーネに今までのようにボディ製造を委託することとなった。

その結果、ウラッコは生産終了となった1979年までに800台に満たない総生産台数しか記録されていない。モデルラインナップとしてはP250、排気量を3リッター(2997cc)へと拡大したP300、イタリアの排気量に対応する税制に合わせた2リッターモデルP200、そして北米マーケット向けのP111などがあげられる。

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