
時代を造ったクルマたち vol.13
”地味な”マセラティの武器は快適性と信頼性
1957年にワークスチームを解散し、グラントゥーリズモ・(快適性を担保したラグジュアリー・スポーツカーであり、快適なキャビンやラゲッジスペースを備えたもの)ビジネスへと専念することになったマセラティ。ここで同じモデナをベースとするライバルメーカー、フェラーリの方向性と道を大きく違えることとなったのだ。
幸いなことに背水の陣でリリースした本格的な大型グラントゥーリズモ、マセラティ 3500GTは大ヒット作となった。フェラーリが華やかなレースの世界とリンクしたブランディングとV12気筒エンジンというアイコンを備えていた250GTで高いセールスを記録していたにもかかわらず、ある意味で地味な3500GTは善戦した。つまり、”地味な”マセラティにはロードカーとしての快適性や信頼性という大きな武器があったのだ。だから3500GTは250GTに匹敵する販売実績を記録したのだった。


高い評価を得た3500GTの後を受けて、1962年に2+2モデル セブリングが発表された。3500GTのホイールベースを50mmほど短縮したニューモデルはカロッツェリア・ヴィニヤーレに属していたジョヴァンニ・ミケロッティの筆によるものであった。そして同時期に企画され、翌1963年にデビューしたのが今回のお題であるミストラルだ。ミストラルはセブリングをさらにショートホイールベース化した2シーターモデルであり、ピエトロ・フルアの筆によるものであった。
マセラティは成功を収めた3500GTの後継として、2+2のセブリングと2シーターのミストラルという2つの異なったキャラクターを持ったモデルを用意するという戦略を取った。より高い実用性を持ったセブリングの需要が高いとマセラティは予測したが、蓋を開けてみるならミストラル人気が圧倒的であった。この時期には、よりスタイリッシュでスポーティなラグジュアリー・スポーツカーのニーズが北米を中心に高まり、それまでのグラントゥーリズモ観が変化し始めていたのである。
