“前後の塊の交錯”というユニークなコンセプト

456GTの発表の時期はルカ・ディ・モンテゼーモロがフェラーリのロードカーに関する舵取りを任されていた時期でもあった。そう、ロードカービジネスの立て直しこそが、彼のミッションであったから、(公式には開発の途中からの関与となったが)このプロジェクトは失敗の出来ない重要なものであった。そんな背景もあり、456GTの開発はスタイリング的にもエンジニアリング的にも相当に力の入ったものとなった。
ところがその開発は大きく蛇行し、発売開始まで思わぬ時間がかかってしまったのも事実であった。400系という長いライフスパンを持った2+2の先行モデルが販売を取りやめてから456GTの登場までには3年間のブランクが存在したし、それを含めて7年余りにわたって“次期モデル”456GTのあるべき姿に対して、様々な検討がなされた。
1980年代後半にフィオラヴァンティ率いるピニンファリーナのデザインチームから幾つかのスタイリングがフェラーリへと提案され、1989年には生産モデルに限りなく近いランニング・プロトタイプが完成していた。それは前モデルである400系のテイストをベースとした直線基調のもので、誰もがそのまま発売へと進むと考えていたはずだ。
ところが同年のフランクフルトショーで発表された1台のドイツ車によってプロジェクトは振り出しに戻ることとなった。そのモデルとはBMW 850iだ。ピニンファリーナによるプロトタイプはそのBMWに類似したコンセプトを持っていたのも事実であったし、予定されていた次期2+2モデルは、フェラーリのニューモデルとしてあまりに華がないということが露呈してしまったのだ。そう、そこで親会社としてフィアットグループを統括するモンテゼーモロによる鶴の一声で、プロジェクト再考が決定したという。

急遽、ピニンファリーナのデザインチームには再提案の命が下った。その中でコンペを勝ち取ったのはピエトロ・カマルデッラであった。ピエトロは既に東京モーターショーで発表されたコンセプトカー ミトスやF40のスタイリング開発においても重要な役割を果たすなど新進気鋭の存在であった。

「スタイリング開発においてベースとしてイメージしたのはデイトナ(365GTB/4)です。ボディサイドの立体的な造形はミトスのテーマを発展させたものですし、フロントエンドにはF40で行ったように250GTOからのインスピレーションを活かしています」とはピエトロのコメントだ。ピエトロがミトスで生み出したボディサイドにおける“前後の塊の交錯”というユニークなコンセプトが各パートに活かされおり、これが456GTのスタイリングにおける最大の魅力でもある。

もはやクラシックカーの仲間入りをした456GT系であるが、近年マーケットでも注目が高まり、コンディションのよい個体は引っ張りだこでもある。興味のある方は早めに手を打っては如何であろうか。
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文・写真=越湖信一 EKKO PROJECT 写真=Ferrari S.p.A. 編集=iconic