【中井貴一の好貴心】Special《私の自動車の大先輩・羽仁さんを訪ねて鹿児島へ-前編-》
今回の好貴心、テーマは自動車でございます。「自動車」と改めて漢字で書くと、今の時代において物凄いアナログ感ありません? 自動で動く車ですからね。でも、このアナログ感がたまらない。子どもの頃、憧れや夢だった物が、大人になって現実の物となり、もう一段上の夢や憧れへと形を変えていく。それが、私にとっての自動車。この好貴心の連載を始めるにあたって、自動車はどうしてもやりたかったテーマの一つ。やっと、念願叶いました。「おいおい、自動車は分かるが、なんで鹿児島なんだ。あー、現在の大河ドラマのブームにのっかろうとしているのねー」……とお思いの貴方。いえいえ、違うのです。私にとって、自動車といえば鹿児島、鹿児島といえば自動車なのであります。桜島の噴火により、車にも大きな被害をもたらすこともあるようですが、日本、いや世界有数の自動車愛好家で30年来の友人でもある、大先輩をご紹介したいと思います。
「運転も、人生も、他人にまかせず自分で責任を持って欲しい」
─運転免許取得に際して知った、母の思い。
運転免許取得の許可を願い出て初めて知った、父の事故に対する母の本心
巷では昨今、長期に亘った景気の低迷、娯楽の多様化、嗜好の変化から、若者の自動車離れが叫ばれて久しいようですが、我々の世代からすると、それが不思議でなりません。幼少期からの乗り物としての憧れはあたりまえのこと、免許を取得することは、大人への階段を登る上での大きな一歩。異性を意識し始めた頃から、女性とのドライブは夢のデートであり、大人になった証のような気がしていたものである。高度経済成長期の真っただ中に生まれ、世の中は車社会へと確実に変化を遂げ、規制前であったことから、大量の車の排気ガスや、工場のばい煙などによって小学校時代は、殆ど毎日、光化学スモッグ警報が発令されていた。第一次スーパーカーブームも、私が中学生の頃。18歳になることは、車の免許を取るためと言っても過言ではなかった。
18といえばまだ高校3年生。免許取得にはそれなりのお金がかかる。子どもの頃から貯めたお年玉、バイトで貯めたお金を併せても到底足りず、親の援助なしには免許取得は成立しない。父を、自らの運転でなかったとはいえ、自動車事故でなくしている我が家にとって、母へどう免許取得と資金提供を頼むか……これが一つの大きな壁であった。私の誕生日が、9月18日であることから、高3の夏休みには教習所へ通うことができる。休みに入りすぐに、意を決して相談。すると、答えは予想に反して思いもよらぬものだった。「あー、貴方ももう18か。すぐに教習所探して、行きなさい。すぐによ!!!それから、お金勿体ないから、頑張って最短で取りなさいよ!」と笑顔で言うのである。えーーー、拍子ぬけ。「まだ早い。大学になってからにしなさい」「お父さんが、事故で亡くなっているのだから、免許は、もっと責任を持てるようになってからにしなさい」などなど、頭の中で、山ほどのネガティブシミュレーションを繰り返してきたのに……あまりにも、簡単に話が終わってしまったものだから、逆に私のほうから母に尋ねた。「親父があんなことがあったのに、俺が自動車に乗ることに対して何にも思わないの?」と。すると母は、急に真面目な顔になり私にこう言った。
「お父さんは、運転をしてもらっていて、命を落とした。もう、人に奪われるのは嫌なのよ。あんたが、人様にだけ迷惑をかけなくて、自分で運転していて何かがあっても、それが運命なんだと納得できる。自分で責任を持って、自分の人生を生きてほしい、それだけなの……」。