本物を見ることでその本質に触れられる
バーゼルワールドが終わった後、今年(2017年)はパリへ足を延ばし、ヴァンドーム広場にあるブレゲ・ブティック2階のミュージアムを訪れた。さらに近隣の博物館も巡ると、そこでは、ブレゲ家とブレゲ社の大いなるレガシーを目の当たりにできた。
今年のバーゼルワールド取材の折、僕は現在のブレゲの総帥であるマーク・ハイエック氏にインタビューする機会を得た。
ブレゲの過去の偉大な歴史は、現在のブレゲにどんな影響を与えていますかという質問に、マーク氏は、「幸運なことに我々は、膨大なアーカイブの中から、当時より続くスピリットや、創造性を学んでいます。もちろん18世紀と今では取り巻く環境も、技術力も異なりますが、その時代に彼らがどのようにして物作りをしていたのかは、やはりオリジナルを見ないと理解できません。つまり本物を見ることでその本質を知るのです。そしてそこからインスピレーションを得て、設計師や、ブレゲ家の末裔で、ブレゲの歴史研究をしているエマニュエル・ブレゲさんなどとともに、新作時計のためのエッセンスを抽出していくのです」。
初代のアブラアン-ルイ・ブレゲは、18世紀のスイスに生まれ、時計造りを学び、やがてパリに移住し時計の世界で大成功を収めた。彼は永久カレンダー機構やトゥールビヨン、自動巻きなど数々の発明や、様々な時計装置の改良に寄与し、時計の歴史を200年進めたといわれる。
インタビューで聞いた話の中で、とても興味深かったのは、20世紀の初頭にアヴィアシオン・ブレゲ(ブレゲ航空機会社)が電気自動車を開発していたという話だった。それを最近レストアしたというエマニュエル氏からは、フル充電で、時速45km、走行距離80kmというスペックを誇り、その当時「羽根のない飛行機」と呼ばれていたという話を後日聞いた。
ブレゲ家の歴史、それは科学する魂の系譜である。その科学する魂を受け継いだ19世紀の子孫は電信産業へ、20世紀の子孫は航空機産業への進出を果たし、フランスという科学先進国の発展に寄与してきたのだ。
松山 猛 Takeshi Matsuyama
1980年代よりスイスにて時計取材を行う。パリのブレゲ・ミュージアムも何度か訪れているが、今回新しくなってから久しぶりの訪問。