石田原さんのお仕事道具を拝見(写真2枚)
帰国後は月150時間の激務もこなした
石田原さんが帰国して、家業に就いたのは1981年のこと。石田原さんも20歳代半ばになっていた。すぐに石田商事からの出向として、大阪の大手商社で繊維の輸出部門の仕事に就くことに。石田原さんによると「毎月、海外出張があり、残業は一か月に150時間」というから驚くほかない。
商社への出向は4年ほど続き、石田原さんは1985年に、石田商事に戻り取締役に着任している。輸入品の仕入れ、海外との交渉が主な業務で、この頃にはミラノコレクションで活躍するレディスのアルベルタ フェレッティなどのインポートも手掛け、ファッションショーの開催まで取り仕切る、忙しい日々が続く。当時の石田商事はベルヴェスト、オズワルド ボーテングの総代理店でもあった。
「ベルヴェストはいまから約25年前に契約を終えましたが、それまでの20年間ほど石田商事が総代理店を務めていました。また、オズワルド ボーテングは、デザイナー本人と日本市場での成功を目指し、熱く意見をぶつけ合ったのが思い出に残っていますね」。