蒸留所ツアーの前に、ニューヨークの蒸留酒の歴史を学ぼう
建物に入って2階に上がると、お目当ての蒸留所ツアーの受け付けがあった。 私だけでなく、アメリカ人らしき観光客、ヨーロッパ系の観光客のグループも続々とやってくる。スタート時間が近づくと、どんどん人が増えて、総勢25人くらいが集まった。
「Hello, everybody ! Welcome to Kings County Distillery! 」 と、蒸留所のスタッフさんの挨拶によりツアーがスタートする。 「じゃ、皆さん、隣の部屋に移りましょう! まずは、ニューヨークにおけるウィスキーの歴史をちょっと説明しますよ!」
ということで、木のベンチがずらりと並んだ教室のような部屋で、スタッフさんのレクチャーを聞くことに。これが、ほんの10分くらいかと思いきや、かなり本格的な授業で、かなり勉強になる! 参加者も熱心に話を聞いていた。
それでは、ガイドさんのお話から抜粋して、ニューヨークにまつわるウイスキーの蘊蓄・エピソードをご紹介。
その昔、アメリカにまだ禁酒法があった時代などから、政府の認可を受けずに密造されていた蒸留酒のことを「Moonshine」(ムーンシャイン)と呼んでそうだ。これは、バレないよう、夜に月明かりの下でこっそり蒸留していたからとも言われている。
アメリカにおける蒸留酒作りは、こうしたムーンシャイナーたちと、ウイスキー税を取ろうとする政府との攻防により進化してきた。キングスカウンティがある、ブルックリンのネイビーヤードの周辺には、アイルランド系の人たちが多く住んでいて、昔からムーンシャインのウイスキーを作っていたそうだが、ウイスキー税を払っていなかったために、1869〜1870年に軍隊が導入され、ムーンシャイナーたちの工場は破壊されてしまった。
1820年代になると、酒はお茶よりも安いほどで、あまりの氾濫ぶりに事件や家庭内暴力が増加したため、禁酒法運動が広がっていった。禁酒法とは、アルコール度の高いスピリッツを禁止することをいう。1920年に禁酒法が施行されると、アルコールの製造や販売、輸送は違法となった。しかし、そんな中、各地では密造も増えていった。ニューヨーク市を例に取っても、1万5000近くあった酒場が、禁酒法以降は3万2000もの「スピークイージー(もぐり酒場)」を生む事になり、酒が飲まれた量も、禁酒法以前より10%以上増加することとなった。
Kings County Distilleryの共同経営者のコリンさんは、ケンタッキー州の出身。そのエリアでは昔、美味しいムーンシャインがよく作られており、蒸留酒を作る道具一式を持って、ブルックリンのウィリアムズバーグに引っ越してきた。ちょうどウィリアムズバーグが「ヒップスター」の集まる場所になってきていた時期で、コリンがパーティでふるまうムーンシャインはたちまち人気になったそうだ(当時はアパートの一室で蒸留していたとか!)。 その「インディなムーンシャイン」が噂になり、NYのタウンカルチャー誌「ビレッジボイス」がインタビューに取りあげたいといってきたところから、2009年に急いで正式な蒸留のライセンスを取った。2010年に、NYも法律が変わって、蒸留酒の製造認可が取りやすくなり、今では16ヶ所の蒸留所が出来ているが、このキングスカウンティは、禁酒法時代以来に出来た、NYでもっとも古い蒸留所となる。