【中井貴一の好貴心】vol.3《学校とテニスが教えてくれたこと》

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この未来的な不思議な建造物、何だと思いますか?
僕の母校、成蹊大学の情報図書館なんです。
勿論、私の在学中にはなかった建物。
自然光がたっぷり入るゆとりある空間に浮かぶ宇宙船のような「プラネット」と名付けられたグループ学習用スペースに立ってみました。
設計は小・中・高と成蹊で過ごされた世界的建築家、坂 茂さん。
成蹊学園の創造的な側面を象徴する建築です。
「好貴心」第1回と第2回は、パリについてお届けしたのですが、今回は打ってかわって 東京・吉祥寺にある我が母校へ。
ここを訪ねたのは、教育について、改めて考えてみたいと思ったから。
僕なりの教育に対する考えを、学生時代の思い出とともに綴ってみようと思います。

中井貴一さん

“競う相手は他人でなく自分”——
学校が、それを教えてくれた

「桃李不言 下自成蹊」——桃李ものいはざれども、下おのづから蹊こみちを成す——成蹊学園の名は、司馬遷が著した『史記』の中に登場するこの言葉に由来している。”桃やすももは喋らないけれど、美しい花を咲かせ、果実を実らせるために自然と人が集まり、蹊ができる。同様に、人徳のある人の周りには自然と人が集まってくる”という意味だ。
我が校には、朝礼に”凝念”という時間があった。目を閉じて、しばし静慮し自分に問いかけるのが、この”凝念”だ。当時は「早く終わらないかなぁ……」とばかり考えていたものだ。

成蹊学園での中学から大学までの10年間は、僕の人間形成において極めて重要な時期だったことは言うまでもない。成蹊というと”お坊っちゃん校”みたいに言われることがあるが、そんな意識は全くなく、クラスメイトのお父さんの職業が話題になることも一度もなかった。ブランド意識とは真逆な校風だったと思う。

規模的にも比較的こぢんまりしているため、いわゆるマンモス校とは違い、人と人との関係性が密で家族的な雰囲気がある。他人と競い合うのは苦手だが、協調性を重視する。成蹊OBの安倍首相にも、どこか成蹊らしい協調性を感じたりもする。競う相手は他人ではなくて自分なのだという教育が、協調性の背後にあったのだと思う。”凝念”もその一環だったのだと、今になって分かる。

学校と教育の場は異なるもの。しっかりとした家庭教育の上に成り立つのが学校教育なのではないだろうか。子供のいないお前に何がわかる、という人もいるかもしれない。でも、私も昔は子供として教育を受けてきた。その自分の経験から感じていることで、最近のニュースを見ると、大人がそのことをしっかりと認識していないのでは……と思うことがしばしばある。自我が確立する8歳までの家庭教育をきちんとすることが大切であり、それができれば、たとえ一度道を踏み外すようなことがあっても、必ずまっとうな場所に戻ってくる……というのが私の自論だ。

成蹊大学の情報図書館
2012年に創立100周年を迎えた成蹊学園。2006年にリニューアルした「情報図書館」には、「プラネット」と呼ばれる大小異なる5つのドーム型閲覧室が、宙に浮いたように配されている。

2025

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