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中井貴一さん、渓流

蓼科は、不便を学びにくる場所。
そんな気がするのです。

中井貴一さん、佐田啓二さん

昭和39年、中井さん2歳の夏。父、佐田啓二さんと母とともに、蓼科の山荘を訪れた時の思い出の1枚だ。

静かになったプール平で振り返る粋な大人の避暑地の過ごし方

その小津先生がお借りになっていた山荘「無藝荘」は、元あった場所から蓼科のプール平という場所に移築され、一般公開されている。このプール平、馴染みのない方には奇妙な地名に違いない。なぜなら、山間のやや開けた”平”ではあるのだが、現在プールはひとつもないからだ。しかし私の幼少期、ここには4軒のホテルが立ち並び、それぞれにプールがあり、そのほかにもプールが2箇所あった。文字通り”プール平”だったのだ。

夏休みには、ここのプールでたっぷり遊んだ後、近くの店でラーメンを食べるのが日課になっていた。また、焼きたてのパンが並ぶパン屋さん、アメリカン・スタイルのオシャレなカフェ「コックドール」などもあり、かつてのプール平は、なかなかの賑わいを見せていた。それが今では、ホテルもプールも、パン屋さんも「コックドール」も姿を消してしまい、静かな佇まいになっている。

ホテルが相次いで廃業したのは今から20年ほど前のことだろうか。バブル崩壊の影響もあったのかもしれないが、他のリゾート地の開発が進んだことや、海外へ出かけることが一般化するなど、リゾートが多様化したことも原因ではないかと思う。ここをもう一度、大人の避暑地として開発するのが私の夢なのだが……日本にいながらスイスの雰囲気が味わえる、そんな場所になるはずだ。ただ、無闇に開発が進まなかった分、蓼科には昔ながらの雰囲気が残っているのも、また事実だ。避暑地というと軽井沢を思い出す人も多いだろうが、蓼科は軽井沢ほどすべてが整っているわけではなく、別荘も本当に山小屋を建てるような感覚なのだ。

軽井沢には実業家の別荘が多いのに対し、蓼科には、文壇や芸術系の人が集まる傾向もあった。前述した小津先生や野田先生をはじめ、笠 智衆さん、我が家とも親交のあった女優・津島恵子さん、巨人軍の監督を務めた水原 茂さん……。彼らも避暑用の山荘を蓼科に構えておられた。

父は映画関係の皆さんと蓼科に来ると、当時まだ珍しかったゴルフを楽しむこともあった。ゴルフ帰りの皆さんが、我が山の家に立ち寄り、囲炉裏を囲んですき焼きをつつきながら酒を楽しみ、あるいは麻雀に興じる様子が、まだ2歳の頃の記憶の中の映像として残っている。思い返すたびに、こういうのが大人なんだ、大人っていいな、と思ったものだ。

ここでは、社会的な地位やステータスなど全部脱ぎ捨てて裸になってしまうような感覚があったのだろう。誰が偉いとか、派閥とか、堅苦しいお付き合いとか、そんなものは一切ない。そこには、粋な大人たちの休日の過ごし方があった。そんな土壌を作っていくことや粋な文化を培っていくこと、また往年の価値観に戻っていくことも、今すごく大切なのではないかという気がしている。

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