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【転換】

1961年に「日本ホームスパン」が設立された。温もりのある手織りの生地は珍しがられ、’70年代頃までは問屋に力もあり生地がよく売れ、経営が順調。しかし’80年代、デザインが多彩になった既製服全盛の時代になると、手間のかかる手織りの生地は卸値も高く、既製服には不向き。そこで、売り先をデザイナーズブランドにシフトした。最初に契約したのは、なんと「イッセイ ミヤケ」。常に抜きんでたクリエーションを問われるブランドは、ヨーロッパで勝負するためにも、日本産の個性的な生地が必要だったのだ。「日本ホームスパン」は、新しい生地を提案するため、織れる糸でなくとも、面白い素材はストックする。倉庫には、ウールの糸以外に、ビニール、和紙、レザー……、夥しい種類の糸をそろえている。

【飛躍】

2001年、パリで開催された生地の展示会”テックス・ワールド”で、「日本ホームスパン」はさらに世界に拡大した。”テックス・ワールド”は、”プルミエール・ヴィジョン”に比べれば、規模の小さい生地展だが、世界で最も有名なブランドのチーフバイヤーが「日本ホームスパン」の生地に目を留めた。すぐに取り引きが始まり、現在では「日本ホームスパン」の生産シェアの多くを占めるほどだ。

【美学】

「生地の魅力は、間違いなく見た目が重要」と話す菊池専務。「3メートル離れたところから、個性が漂う生地でなければならない」と。人が生地の感触を気にするのは、見た後の行為だからである。菊池専務を中心に、生地のデザインを練り、織り方を工夫する。自社生産を貫き通し、世界で唯一の生地をつくることが、「日本ホームスパン」のいまも変わらぬ仕事の真髄である。

工場を拝見!(写真3点)

日本ホームスパン

住所:岩手県花巻市東和町 土沢1区89の2
TEL:0198-42-3637
ホームページ: http://www.homespun.co.jp



[MEN’S EX 2019年3月号の記事を再構成](スタッフクレジットは本誌に記載)
3代目となる、1983年生まれの菊池専務取締役。中学生の頃には、糸の染色なども手伝い、自分で生地づくりを覚えた。

3代目となる、1983年生まれの菊池専務取締役。中学生の頃には、糸の染色なども手伝い、自分で生地づくりを覚えた。

「日本ホームスパン」の本社兼工場は、岩手県花巻市にある。

「日本ホームスパン」の本社兼工場は、岩手県花巻市にある。

冴えた色で個性を放つチェック柄。150本の糸をひと柄の格子に織り込む。

冴えた色で個性を放つチェック柄。150本の糸をひと柄の格子に織り込む。

味わい深く、巧みな色の生地。1960〜80年代のアーカイブコレクションだ。

味わい深く、巧みな色の生地。1960〜80年代のアーカイブコレクションだ。

工場の隣には染色工房も備える。様々な染料を使い、サンプルの色糸をつくって実験する。

工場の隣には染色工房も備える。様々な染料を使い、サンプルの色糸をつくって実験する。

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