人生のすべてを家具に捧げた
家具の達人・織田憲嗣という人
家具研究家・織田憲嗣さんは、1500点に及ぶ椅子を含む、20世紀のすぐれた家具・日用品コレクションを、どこからの経済的支援も得ることなく、たった一人で築き上げた奇跡の人。資産家の家に生まれたわけでもなく、事業や投資で成功したわけでもない、いわば“市井の人”が、自ら働き、稼いだお金だけで“世界で唯一無二のコレクション”をなすという大事業を成し遂げたのだ。
「本物を持つことで生まれる心の豊かさは何物にも代え難いものです」 ── 織田憲嗣

「ひと言でいえば、時代が味方をしてくれたことが一番大きい。私が北欧に通い蒐集を始めた’80年代初頭は、’50~’60年代の世界的なスカンジナビアデザインのブームが終息し、デンマーク国内でさえ、自国のデザイン文化を見捨てた時代でした。行ってみるとまさにトレジャー・ハンティング。貴重な家具や資料が多く残され、今では考えられない値段で手にすることができたのです。しかし、金策、金策の毎日で、お金には本当に苦労しました。ひたすらイラストレーションを描いて、コンスタントに夜中の3時まで、働き詰めに働いて、得た収入を購入資金に充てたのです。一点一点、苦労して手に入れたものばかりですから、どこで何をどう買ったのか、思い出・苦労など仔細はすべて覚えています」
世界が知る「オダ・コレクション」
織田さんは、芸大卒業後、大手百貨店宣伝部に就職。その後、独立しイラストレーション事務所を開設。初めて椅子を買ったのは1972年の百貨店のサラリーマン時代。給料8ケ月分のル・コルビュジエの名作「LC4」を月賦で手に入れた。それから50余年、一切ブレずに続けてきた歩みの積み重ねが、今の織田コレクションに繫がったのだ。
椅子蒐集が100脚を超えた頃から、趣味から研究者の道へ転身。北海道の大学で教鞭をとりながら、調査と研究を続けることとなる。

「後世にデザイン文化遺産を残すことが、私が生まれてきた意味」 ── 織田憲嗣
織田さんの名前が、一躍、世界に知られるようになったのは1989年に開催された名古屋デザイン博覧会でのこと。
「『デンマーク180脚の椅子展』を開催した折、『日本人がこんなことをしている』と本国のメディアが大々的に取り上げ、一般の人まで僕の名前を覚えてくれるようになりました。それ以来、デンマークの人が本当に一番、僕のことを理解してくれて、駐日大使館の方々を含め、いつも協力してくれるのです。私は現在78歳。もうすぐ80歳の大台に乗りますが、今の夢は、デザインミュージアムを作ること。日本は先進国で唯一、デザインミュージアムを持たない国です。その理由はアート(文化庁)とデザイン(経済産業省)で所轄官庁が異なるから。ボタンの掛け違いで、日本には美術館はたくさんありますが、デザインミュージアムがないのです。家具や日用品は生活文化の基盤です。そういうものを絶対に未来の世代に残していかなければならない。そういう使命のようなものを感じるようになりました。自分が生まれてきた意味は、後世にデザイン文化遺産を残すこと。自らの人生の意味を実感することができて、これほど幸せなことはありません」。



織田コレクションとは
織田憲嗣氏が50余年にわたり世界で蒐集・研究してきた、20世紀のすぐれたデザインの家具と日用品群。北欧を中心とした椅子やテーブル、照明、食器やカトラリー、おもちゃまで、8000点以上。関連文献や写真、図面など2万点に及ぶ。
一覧はコチラ: 「美しい家具」と暮らす
[MEN’S EX Spring 2025の記事を再構成]