天才時計師との約束
「今、天文時計の設計を進めているんだ」とフランソワ‐ポール・ジュルヌから聞いたのは、今から3年前、ジュネーブ ウォッチ グランプリの審査のために、ジュネーブに滞在していたある日、F.P.ジュルヌの工房を訪ねた日のことだった。
アブラアン‐ルイ・ブレゲの再来といわれる、現代最高の時計師の一人である彼が作るという、天文時計とはどのようなものになるのだろうと、その日以来いつも気になっていたものだった。
「まだ他の人には言わないでおいてくれますか?」と言われていたので、一切口外することなく、その完成を心待ちにしていたら、スイスからニュースが届いた。
それは難病の筋ジストロフィー患者のための「オンリーウォッチ」というエイドに、特別仕様のタンタルケースの「アストロノミック・スヴラン」という時計が出品されたというニュースだった。やがてその時計はオークションにかけられ、およそ2億円近くで落札されたということだった。
この時計は通常の時計としての機能のほか、永久カレンダー、デイ&ナイト機構、日の出日の入りの時刻表示、ムーンフェイズなどのカレンダー機構、さらにはミニッツリピーター、そして駆動システムとして、トゥールビヨン機構など18もの機能を備えた、超絶級のコンプリケーション時計であり、わずか直径44mm、厚さ13.8mmのケース空間にそのすべてを収めるという、技術の結晶として作られたものだ。
いわば機械式腕時計の頂点を極めた機械未来遺産の誕生である。
「オンリーウォッチ」に出品されたものは、タンタルケースにブルーの文字盤の一点ものだったが、このたび市販品としてステンレスケースの「アストロノミック・スヴラン」が登場することになり、そのアナウンスのために、フランソワ‐ポール・ジュルヌが来日し、ごく限られたコレクターや、時計ジャーナリストが招かれて『八雲茶寮』で、お披露目の会が催された。
この高価な天文時計の市販品の、ケース素材がステンレスなのは、それが最もリピーターの音をよく響かせるという、フランソワ‐ポール・ジュルヌの信念によるものだ。
年間何ピースの製作が可能なのかは不明だが、世界中のコレクターの胸を騒がせる究極の時計の完成はまことに喜ばしい限りだ。もっとも自分で手に入れることは叶わぬ夢だが、このように素晴らしいものが世に送り出されることを純粋に喜びたいと思う。
松山 猛 Takeshi Matsuyama
1946年京都生まれ。作家、作詞家、編集者。MEN’S EX本誌創刊以前の1980年代からスイス機械式時計のもの作りに注目し、取材、評論を続ける。