加藤生命力がある音楽という感覚的な部分を、部下と共有するのはなかなか難しいのでは?
小川開発者たちの中にもクラシックだったりロックだったり、音楽を愛する人たちが集まっていますので、その人が腹落ちするような言葉で表現することが大事ですね。物理的な数値を見てどうこう言っても、ある程度のところまでしかたどり着けなくて、そこから先の琴線に触れるところに到達するには、その音楽の真髄のような話もみんなに伝えないといけません。「この収録ではこんなマイクを使っている。こんなホールでこんな楽器でこの人の演奏だから、こういう音が出る。」といった上流まで遡って、総合芸術としての音楽の背景を理解し、その全てを表現しなければならないと。コミュニケーションを何度も繰り返すことで、開発者たちもそういうマインドになっていきます。目標をできるだけ高いところに持っていくのが、私の役割ですね。
加藤小川さんがそうした高みにチャレンジできるのは、どんな想いからですか?
小川音楽は音が流れた瞬間に心を鷲掴みにされたり、涙があふれたりする。その音の出し方によっては誰かの人生を変えるほどの責任があって、それがほんものの音楽の力だと思っています。
加藤小川さん自身はどんな音楽体験に心を奪われたんでしょう?
小川3歳からピアノをやっているんですが、幼稚園のときにチャイコフスキーの『白鳥の湖』を聴いて「なんて美しい音楽なんだろう!」と感動したのがきっかけですね。2014年に「テクニクス」の復活と商品をドイツで発表したときも、ブランドのヒストリーや開発者としてフィロソフィーといったこと以外に、私自身が演奏家でもあることや、『白鳥の湖』の話をしたら、スピーチの後に現地の男性が駆け寄って来て「今までいろいろな企業や商品のプレゼンを聞いてきたけど、あなたのように個人的な体験を語ってくれた人はいなかった!」と喜ばしい反響をいただきました。単なる知識でなく、自分の言葉で体験や持論を語ること、自分を表現することが一番じゃないかと思います。
加藤私の場合、アナウンサーとして原稿を読むこととは違って、スピーチになるとものすごく緊張するんですが、小川さんのように個人的な体験を肉付けすると、伝わることが大きいですか?
小川そう思います。”Rediscover Music”を「テクニクス」のブランドメッセージとして決めましたが、誰でも多感な頃にある曲をものすごく好きになったり、憧れのミュージシャンのようにギターを弾きたくなったり……という個人的な音楽体験があるはずで、そうした感動をもう一度思い出してほしいというメッセージを込めています。
加藤ただ、組織の中で個性を出すのはなかなか難しいことでは?
小川私がパナソニックに入社した1980年代はまさに没個性の時代でしたが、やっと今、個性が生かされる時代になったのではないでしょうか。産業界にはどうしても「全て数字と論理で説明せよ」という風土がありますが、私は「人間の感覚や感情を数字に置き換えるにはどうしたらいいか」ということを常にやってきました。音の測定のやり方も工夫して、コンサートホールで聴く音楽は、空気の動きを身体全体で感じていると捉えて、空間全体に沢山のマイクを置いてみたり(笑)。そうすることで見えないものが見えてくるんです。
[MEN’S EX 2019年12月号の記事を再構成]
撮影/鈴木泰之 スタイリング/後藤仁子 ヘアメイク/野口由佳 文/岡田有加(Edit81)