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奥野さんの思い出写真館 Part1(写真3枚)



大学もそっちのけでアルバイトを楽しむ毎日

アメカジブームの時代ではあったが、しばらくヨーロッパものも好きで買っていたという奥野さん。大学に無事、入学できたものの大学3年生、4年生となれば就職の決断をしなくてはならなくなる。なのに、ちっとも就職活動に身が入らなかった奥野さんは、ある求人を目にする。JR大阪駅のショッピングモールにエディフィスが西日本初出店をしたというのだ。スタッフのアルバイトに応募すると運よく採用が決まり、すっかり職場の楽しさに魅了された。

「学校の授業には出席せず、テストだけ受けて、あとはアルバイトばかりしていました。ほぼオープニングスタッフのような状態で入って、正社員に昇格したのは、卒業から少し経った頃です。職場はみんな年齢も近くて楽しかったし、仲もよかった。当時はフレンチテイストの強いショップだったので、本部の人から『フレンチとは……』『ゴダールが……』と、知らない世界の話を聞かせてもらって、すっかりハマりました。ファッションのベースはアメカジだったので、とにかくエディフィスの提案が新鮮に思えたのです」。

リングヂャケット クリエイティブ DIV. マネージャー 奥野剛史さん

休暇を取ってシャツのオーダー会のために上京

いまのようにインターネットで情報が簡単に手に入らない時代である。本部には名物バイヤーのような人が多くいて、さまざまな話を聞けたのは奥野さんの貴重な体験であったそうだ。奥野さんの破天荒ぶりは、この頃からはじまったらしい。あるとき、エディフィスがアンナマトゥッツォのシャツのオーダー会を開くことになった。本部の人から、情報を聞きつけた奥野さんは、休暇をとると渋谷のお店へ向かい、一般客に交じってシャツのオーダーをしたという。作ったのはカルロ リーバのブロードとドーメルのカシミヤ100%生地を使ったシャツ。

驚いたのは東京の関係者である。なんの前触れもなく、顔なじみの大阪のスタッフが渋谷店に現われ、オーダーを済ませると、素知らぬ顔で帰ろうとしているのだから。 彼に気付いた一人のバイヤーが「なんで、ここにいるんだ!?」と驚きつつも、飲みに連れて行ってくれたという。

「半分、怒られたような、面白がられたような(笑)。元をただせば、私の気持ちの中で、オーダー会しかり、さまざまな情報が東京一極集中だったことにコンプレックスがあったのです。この話が本部やディレクターにも知られたようで、少しあとにピッティ ウオモ(※)を含む出張に連れて行ってもらえることになりました」。

※年に2回、イタリア・フィレンツェで開催されるメンズファッションの見本市。

伝説となった(?)イタリアの大散財

出張の行き先はフィレンツェ、ナポリ、ミラノ。打診があったのはなんと5日前だ。それまで都内のスタッフの何人かは海外出張に出かけていたが地方のスタッフは初のことだった。とはいえ、ショップスタッフが海外へ出かけても、諸先輩方を前に特別なことができるわけではない。

「買い物ならできる!と思ったんですね。度肝を抜いてやろうと(笑)。ジャンニ カンパーニャで70〜80万円くらいのスーツをオーダーして、ナポリのテーラーでもジャケット、スーツ、コート、タイを揃えて。10日ほどの出張で200万円くらいの買い物でした。まだ結婚もしていなかったし、なんとかなったんです。それというのも、どうにか爪痕を残したいとの思いからかなあ(笑)」。

意表を突く新人の大散財である。「こんな奴は会社史上、一人もいない」と、奥野さんは社内でも話題になったという。

今も現役のネイビーのジェイエムウエストンのローファー。「エディフィスに勤務時代、『フレンチファッションには必須!』と周囲に言われ、その気になって買った一足です。昼食代を削って、お金をためて昼休みに買いに行きました。ジェイエムウエストンの人に昼は足がむくむから夕方に出直すように言われて、そのとおりにしたんですよ(笑)」

今も現役のネイビーのジェイエムウエストンのローファー。「エディフィスに勤務時代、『フレンチファッションには必須!』と周囲に言われ、その気になって買った一足です。昼食代を削って、お金をためて昼休みに買いに行きました。ジェイエムウエストンの人に昼は足がむくむから夕方に出直すように言われて、そのとおりにしたんですよ(笑)」

「スタプレ」の愛称で知られる、リーバイスのステイ・プレスト。「ヨーロッパ製で、アメリカ物とは一味違う洒落っ気が気に入っていました」。

「スタプレ」の愛称で知られる、リーバイスのステイ・プレスト。「ヨーロッパ製で、アメリカ物とは一味違う洒落っ気が気に入っていました」。

スタプレの品質非表示にはメイド イン イタリーの文字が。

スタプレの品質非表示にはメイド イン イタリーの文字が。

1990年代後半から2000年代初頭頃に神戸の古着屋で買ったデッキジャケット。1940年代のビンテージだ。

1990年代後半から2000年代初頭頃に神戸の古着屋で買ったデッキジャケット。1940年代のビンテージだ。

19歳のとき、初めての海外旅行でアトランタに「アメリカに留学していた友人のところに1週間ほど滞在しました」。

19歳のとき、初めての海外旅行でアトランタに「アメリカに留学していた友人のところに1週間ほど滞在しました」。

こちらも19歳の時のアメリカ旅行の一枚。「古着のTシャツにリーバイスはビッグE……。典型的なアメカジ愛好者だった時代です」。

こちらも19歳の時のアメリカ旅行の一枚。「古着のTシャツにリーバイスはビッグE……。典型的なアメカジ愛好者だった時代です」。

フランスに夢中だった20歳代中頃にパリへ。「『フランス』、『パリ』とつけば服でも本でも雑貨でも何でも買う! という時期で、当時働いていたショップ(エディフィス)で同じようにフランスにハマっていたスタッフ仲間と男二人旅でパリに行きました。のちの新婚旅行もパリに行くぐらい心酔していました。現在、仕事で行くのは主にイタリアですが、今でもフランスは好きです」。

フランスに夢中だった20歳代中頃にパリへ。「『フランス』、『パリ』とつけば服でも本でも雑貨でも何でも買う! という時期で、当時働いていたショップ(エディフィス)で同じようにフランスにハマっていたスタッフ仲間と男二人旅でパリに行きました。のちの新婚旅行もパリに行くぐらい心酔していました。現在、仕事で行くのは主にイタリアですが、今でもフランスは好きです」。

エディフィス勤務時代、イタリアで爆買いしたスーツのうちの一着。「ナポリのサルトで仕立てた3ピースで、パンツは後ろに尾錠が付いています。今でもたまに着ていて、学ぶことが多い一着です」。

エディフィス勤務時代、イタリアで爆買いしたスーツのうちの一着。「ナポリのサルトで仕立てた3ピースで、パンツは後ろに尾錠が付いています。今でもたまに着ていて、学ぶことが多い一着です」。

かつて職場の仲間だった方が持っていた1910年代のPコートを基にリングヂャケットが復刻したものを自腹で購入。ドレスクロージングのファクトリーで作られた本格的な作りが特徴だ。今冬、ドレッシーなアレンジを加えて再登場が予定されている。

かつて職場の仲間だった方が持っていた1910年代のPコートを基にリングヂャケットが復刻したものを自腹で購入。ドレスクロージングのファクトリーで作られた本格的な作りが特徴だ。今冬、ドレッシーなアレンジを加えて再登場が予定されている。

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