リーダーとしてビジネスを牽引する男たちが愛読する本&愛用するメガネ。そこには日々、厳しい競争の中で奮闘する彼らの思考法やビジネス哲学が宿っている。
Profile
アピシウス
情野(せいの)博之氏
「トゥールダルジャン 東京」シェフソムリエ、宮内庁・宮家・首相官邸接遇サービスを経て、2007年より「アピシウス」シェフソムリエ。第6回ポメリースカラシップ優勝、第3回全日本最優秀ソムリエコンクール第3位。2012年シャンパン騎士団シュヴァリエ叙任。2014年シャンパン騎士団オフィシエ叙任。ワインスクールや大学で教鞭を執ったり、専門誌に登場したりと、ワインの普及にも励む。
客の”夢”を壊さないメガネ選びとは?
東京・日比谷のとあるビルの地下に日本のフランス料理界を牽引してきたレストランがある。「アピシウス」だ。アールヌーヴォー様式に則ったその空間には”贅を尽くした”という表現が相応しく、充実した個室やウェイティングバーにはグランメゾンらしい風格が感じられる。
今年で創業35周年。政財界の要人やあらゆる食通たちを魅了してきたのは、何も料理の味だけではない。そこに「超一流」のおもてなしがあるからだ。その中心にいるのがソムリエ・情野博之氏。店にストックされている約3000本のワインの特徴を熟知し、料理との相性、客の好み、喋り方や仕草といった限られた情報をもとに、その人に合ったワインを瞬時にピックアップするという神業を持った人物だ。
接客業に従事する者は特に身なりに気を遣って然るべきだが、サービスマンの超プロフェッショナルである情野氏は、一体、どんなポリシーを持っているのか。どのようにメガネを選ぶのだろうか。
「夢を壊さないことです」情野氏は言った。「そもそも飲食業は独特です。例えば鉛筆を買う場合、お金を払ってすぐに取引が成立しますが、この業態においてはそうはいかない。会計するのは食べ終わってからなので、店のスタッフは2時間、3時間、お客様と接することになります。ムードを台無しにしないように、細心の注意を払ってサービスに徹しなければいけません。グラス1つ、皿1枚のわずかな汚れも見逃してはなりませんし、己の身だしなみにも気を遣って当然。爪や髪を清潔に整えておく。パリッとした装いをする。とにかくマイナスを積み重ねないように努力することが大切です。メガネ選びについても然り。デザインが独り歩きしてしまうようなメガネはなるべく避けた方がいい。少なくとも私はそう思います」
その発言を証明するかのように、目の前にいる情野氏のメガネ姿は控えめだ。フレームのデザインは実にシンプルで、細めの黒いリムが、人当たりのいい印象に一役買っているように見える。
「かつてゴールドフレームのメガネを掛けたこともありますが、いかにも高いワインを売りつけられそうだと周囲に言われてやめました(苦笑)。実際、我々は1本200万円するボトルをお売りすることもあります。そのときは夢をお届けする者として相応しい品格を備えていた方がいいと思いますが、そればかりではないですし、お客様にプレッシャーを与えるようではいけない。ソムリエの理想は、出過ぎず、引っ込み過ぎず、黒子のようであるべきですよね。なんと言ってもお客様に満足していただくのが我々サービスマンにとっての醍醐味。伝統を大切にするレストランで働く人間には、オーソドックスなメガネが相応しいのかもしれません」
プライベートに仕事は持ち込まないのが情野流
ソムリエ界の重鎮として仕事に対する向き合い方に一家言を持つ情野氏だが、一方、プライベートはどのように過ごしているかといえば「ワインとは一線を引いている」そうだ。氏にとってワインはあくまで売り物。純粋に余暇を共にするものではないらしい。
「もちろん休日にもレストランに行きますし、行けば当たり前にワインを注文しますが、仕事柄、1ヶ月に300ほどの銘柄を試飲していることもあって、ワインに触れるとどうしても気分が休まらないんです(苦笑)」
そう話す情野氏にとって、頭の中をオンからオフに切り替えるスイッチが「読書」という行為だ。ワインに関する蔵書に触れるのは仕事のときのみ。通勤中、あるいは就寝前には娯楽としての読書に没頭する。その内容は記録文学で知られる作家・吉村 昭の作品から大好きなボクシングの関連本まで実にバラエティに富んでいる。
「昔からノンフィクションに惹かれる傾向があります。事実から紡がれる物語に心が躍り、血が騒ぐ。ボクシングの試合を観ていると自然と声が出てしまうのですが、それが堪らなく気持ちいい。ソムリエの仕事が”静”だから余計にそう感じられるのかもしれません」
オンとオフのメリハリを付けることが仕事へのモチベーションを保つことにも繋がるという。
「私は今の職場に来て12年になります。ワインも進化しているので勉強の毎日。飽きることはありませんが、ルーティン化するのは避けようがありません。これは我々の仕事に限った話ではないでしょう。常に自分を感動できるようにスタンバイしておくのは必要だと思います。私にとって本がその手段のひとつとなっているのは間違いありませんね」
クラシックなフレームでお客様に安心感を
情野氏が勤務する「アピシウス」は創業して35年を迎える。フランス料理はソース抜きに語れないが、同店の料理にはその伝統が守られていてブレがない。
「フランス料理の王道を求めて我々の店を選んでいただくのだとすれば、モダンで今どきのフレームよりクラシックなものの方がその雰囲気を壊さずに済むのでしょう」(情野氏)。