マンニーナ親方の靴工房【松山 猛の道楽道 #004】

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松山 猛の道楽道(どうらくどう)

フィレンツェへの今回の旅の目的の一つは、仲良しだった靴作りのマエストロ、カロジェロ・マンニーナ親方の墓参をすることだった。
拙著『ヴィヴァ!イタリアの職人(アルティジャーノ)たち』にも登場するように、1992年の取材以来、とても陽気で暖かなハートの持ち主だった親方と、家族ぐるみの付き合いをするようになり、毎回フィレンツェに行くと奥さんのリセッタさんの、美味しい手料理でもてなしてくれた。

4年前の春に親方を訪ねた時はすこぶる元気だったのだが、その年の冬に急逝され、以来いつか墓参をしたいと思いながら、もう4年もの月日が流れてしまっていた。

到着の翌朝にリセッタさんと、親方の愛弟子で今は自分の工房を開いている、松岡祥子さんとともに、フィレンツェ郊外バーニヤ・リーポリの丘の共同墓地に眠る親方のお墓を訪ね、四半世紀の交友の思い出を振り返る事ができたのは幸いだった。
親方からは靴作りに関する、たくさんの知識を学んだし、また実際に僕のためにたくさんの靴をつくってもらうことができた。

フォトギャラリー(写真4枚)

マンニーナ工房の誂え靴は、最初の一足の料金が1000ユーロからと、イタリアにおけるス・ミズーラとしては破格の安さなのだが、それは親方の、多くの人に履きやすく、疲れない靴をつくってあげたいという、優しさと熱意の賜物なのだった。

今その工房を守っているのは、マンニーナ親方の薫陶を受けた、ナポリ近郊出身のジョバンニ君と、日本から来た大谷恵理子さんの二人だ。
彼らに僕の足を採寸し直してもらい、今回はトスカーナ産の表情のある革、バケータでマンニーナ親方が最後にデザインしたというブーツを作ることになった。
するとジョバンニ君が、普通の茶色ではなくナス紺色のバケータのストックがあり、きっと松山さんにはこの色が似合いますよと勧めてくれた。

そういえば紺色の靴はいつか欲しいと思っていたが、なかなかこれというものに出会えずにいたから、この親方の形見のデザインの靴との巡り合いが、嬉しいのもとなった。
急がなくてもいいよと言いながら、さてどんな靴ができるのかが楽しみでならないのだ。

MANNINA
マンニーナ公式サイト(日本語版あり)



松山 猛 Takeshi Matsuyama

1946年京都生まれ。作家、作詞家、編集者。MEN’S EX本誌創刊以前の1980年代からスイス機械式時計のもの作りに注目し、取材、評論を続ける。

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