今、ビスポークファンの注目を一身に集めるテーラー界のニューフェースがいる。とりわけブリティッシュ好きなら、絶対に知っておくべき存在だ。その名は里和慶一氏。あのハンツマンでテーラーを務め、2018年のユージニー英王女とジャック・ブルックスバンク氏、そして昨年のベアトリス英王女とエドアルド・マペッリ・モッツィ氏のロイヤルウエディングにおいて、新郎の衣装も手がけた折り紙付きの職人である。
昨年日本に帰国し、今年7月に「ARCHIES」(アーチーズ)という屋号を掲げて自身のビスポークテーラーをオープンさせた。その全容を探るべく、本邦初のロングインタビューを実施。とくとご覧あれ!
日本とサヴィル・ロウで計11年以上のキャリアを積んだ大型新人
1987年生まれの里和氏は、ビスポークテーラー業界では若手の部類に入る。しかしそのキャリアは実に輝かしく、ハンツマンには見習いではなく最初から一人前のテーラーとして採用されたほどの逸材だ。蛇足になるが、ハンツマンは1849年創業の老舗で、スーツの聖地サヴィル・ロウの代表格として知られる名門である。在籍時には先に述べたロイヤルウエディングのほか、コリン・ファース主演の映画『キングスマン』シリーズの衣装制作にも携わっていたという。超一流テーラーも認めた技を培ったのは、日本で積んだ7年半の修業だった。
「銀座の英國屋で仕立ての基礎を学びました。当時の師匠方には本当にお世話になって、今でも技術の大切な土台になっています。英国へ渡ろうと思ったのは、日本で身につけた技の答え合わせをスーツの本場で行いたいという思いから。最初は英語を学びつつ、現地のとあるテーラーで働きました。そしてその後、渡英の主目的であり、ずっと憧れ続けていたハンツマンの門をたたいてみることにしたのです。特にツテもなかったので、入社希望のメールをしたためてコンタクトをとったのですが、40通目くらいでようやく返事をもらえましたね。後から知ったのですが、いまサヴィル・ロウのテーラーは世界的に人気の職場で、毎週のように就職希望者から連絡がきていたそうです」
「その後、念願かなってハンツマンの入社試験を受けられることになり、面接と実技試験を経て採用に至りました。それからはとにかくいろいろな服を作りましたね。ある季節はロイヤルアスコット(6月に行われる英国王室主催の競馬大会)参列用のフォーマルウエアばかり作ったり、またある季節はシューティングウエアをひたすら仕立てたりと、英国ならではの注文に応える日々で、自分はイギリスにいるんだなという実感がありました。そのなかでも、ロイヤルウエディングの衣装をお仕立てできたのは感慨深かったですね。国家的重要式典の服を外国人が仕立てるというのは、ちょっとありえないことのようにも感じますが、ハンツマンのクリエイティブディレクターが私を推してくれて、光栄にも制作を担当することができました」
自分を指名してもらえる顧客も増え始め、そのまま英国暮らしを続けるつもりでいた里和氏だが、コロナ禍による世界の分断を目の当たりにして、家族・親類が暮らす日本に帰国しようと決意。かくして自身のテーラー「ARCHIES(アーチーズ)」を構える運びとなったのである。
屋号には大きく3つの意味を込めたと里和氏。ひとつめは、英国時代に住んでいたArchwayという街の名前。そして伝統文化の継承者として、過去と未来の架け橋(Arch)になりたいという思い。さらに、生地と服、服と顧客の中間に立つ”つなぎ役”という意味もあるという。それゆえ、“顧客にフィットしたスタイルの提案”を重要視していると里和氏は話す。
「しばしば、日本人は手がよくて縫製が美しいとか、細かいところにまで気を配る注意力があるなどと言われますが、それはある程度キャリアを積んだ職人にとっては当たり前のスキルだと思います。そこから先は、自分の美意識だったり、お客様のイメージをくみ取る“見立て”の力が重要になってくる。私がハンツマンで評価してもらえたのも、そういう部分だったと考えています。ですので、ご注文いただいたお客様のパーソナリティーを引き立てて、シンプルに“格好良い”と感じていただける服作りを心がけていますね。お客様と一緒に、いろいろな物作りをさせていただくことを楽しんでいきたいと思っています」