チャーチの歴史が幕を開けたのは1837年のこと。曾祖父から靴作りの技術を学んだトーマス・チャーチが、ノーサンプトンのメープルストリートに小さな工房を構えたのが始まりだ。その後、瞬く間に大成長を遂げ、英国だけでなくヨーロッパの最高級ショップでも取り扱われるようになる。ここまで急激な躍進を遂げたのはなぜか? その大きな要因は、チャーチがドレス靴に大きな革新をもたらしたことだといえよう。
“革新”を”常識”にした継承の姿勢こそチャーチの魅力の根源だ
当時の靴は、左足・右足の区別がない”まっすぐ”な形状だったという。そこに始めて左右の別を取り入れ、足なりに湾曲させた構造を作り上げたのがチャーチだったのだ。さらに、靴のサイズ展開にハーフサイズを導入したのも同社が初だという。これによりチャーチは、1881年に行われた靴の展覧会において見事金賞を獲得。その名をヨーロッパ中に轟かせたのである。
その後、海外への進出にも力を入れつつ、対戦中の軍靴製造などを経てさらに規模を拡大していったチャーチ。1965年にはエリザベス二世が工場を視察するなど、英国靴産業の代表格にまで上り詰めていった。
そんなチャーチに転機が訪れたのが1999年のこと。プラダグループに買収され、その傘下に入ったのである。しかしこれはチャーチの衰退を意味するものではなく、ブランドの靴作りにさらなる革新をもたらすのものであった。買収はあくまで、チャーチが培ってきた歴史と靴作りの技術を尊重したうえのものであり、その基盤にモードブランドのデザイン力という新たな武器が備わったのである。
時代を経ても変わらない靴作り――チャーチの魅力はしばしばこのように語られる。しかしその歴史を振り返ると、同社はむしろ靴産業に幾多の革新をもたらした開拓者といえるだろう。その”革新”を現在に継承し、靴の”常識”にまで定着させた功績こそ、チャーチの偉大さを裏付けるものではないだろうか。そしてそれを可能にしたのは、どこまでも真摯に靴作りと向き合う”良心の靴作り”。その姿勢こそが、時代を経ても変わらないチャーチの普遍的魅力なのである。
エリザベス二世も認めたチャーチの功績
世界の主要都市に社員を派遣し、積極的に海外市場の開拓を行ってきたチャーチ。1929年、ニューヨークのマディソンアベニューに国外初の
ショップをオープンしたのを皮切りに、イタリア、カナダ、香港などに支社を設立。輸出を拡大していった。
その功績を評価され、1965年には女王エリザベス二世がノーサンプトン・セントジェームス通りにあるチャーチの工場を視察。女王賞が授与された。王室御用達の称号こそ持たないものの、そのクオリティはお墨付き。こんなエピソードも、チャーチの世界的地位を支えるもののひとつだ。