自分を生きようとする演技と、自分でいられるファッションと。
ときにトップアイドルとして歌い、踊り、ときに役者として演じ、ときに.ENDRECHERI.として、怒涛のファンクをブチかます。シーンに応じて変幻自在でありつつ、常に自身の流儀を貫く堂本 剛さん。27年ぶりとなる単独主演映画『まる』の話を伺いつつ、メンズもウィメンズも、ハイブランドも古着も、分け隔てなく自分流に着こなしてしまう、その卓越したファッション観に耳を傾けたい。
27年ぶりの単独主演作に向き合って
M.E. 1997年に公開された『金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』以来、27年ぶりの単独主演映画『まる』が、10月から公開。久々の映画主演にあたり、どんな心境で臨まれたのでしょうか?
堂本 この映画のお話をいただいたのが2年ぐらい前だったんですが、僕の周りでさまざまな物事が動き、僕自身の環境やフィールドも大きく変わっていきました。そんななかでこの撮影に臨んだので、主人公の揺さぶられる感情などへ自然と影響した部分もあると思いますね。
M.E. 堂本さんが演じられた主人公の沢田は、現代アートの世界に身を置きながら、自身のアイデンティティを発揮できずにいる内に、ふとしたことで描いたシンプルな手描きの〇(まる)が大きな評判を呼び、自身もとまどうような状況に巻き込まれていきます。沢田という人物像をどう捉えながら役作りされたのでしょうか?
堂本 萩上監督は、沢田の目の下のクマのメイクにこだわっていたんですが、それぐらい沢田は寝ていないし、健康的な食生活も送れていない人物という設定だったんです。なので、敢えて不健康感のある雰囲気にして。沢田は、もともと自分で自分をはっきりと理解している人物ではあるんですが、アートに関わりながら、常に自分の思うような方向性には行けず、いつも同じような時間軸の感覚の中で生きてきたからこそ、苦しんでいる。誰しも、社会やコミュニティの中で、そこにあるルールに順応し、自分じゃない自分を求められたり、期待されたりするじゃないですか。それが本来の自分と距離があればあるほど、虚しく思えたり、苦しく感じたりする。沢田は、自分が描いた〇(まる)を巡って世の中が勝手に騒ぎ始め、それに巻き込まれ困惑するんですが、最終的にはただ自分を生きたいだけっていう答えに辿り着く。そういう感覚をもって、全体を演じたという感じです。
M.E. 荻上監督とも、かなりディスカッションはされたのでしょうか?
堂本 監督の中で答えの出ていないシーンが結構あったのですが、脚本を読んでいるこちら側も答えがなく、お互い答えを照らし合わせながら最終的にそれでいいだろうというすり合わせをして演じたシーンも少なからずありました。沢田はこういう想いだから、この台詞を言っているはずだとか、シーンには描かれていない沢田の日常を想像して、だからこういう行動を取っているんだとか。そのディスカッションを通して、荻上監督ならではの人間味のある世界観の作品になったと思います。答えが出過ぎているような脚本だと、また違ったものになっていただろうし、結果的にこれで良かったなっていう印象ですね。
M.E. この作品では、.ENDRECHERI./堂本剛の名義で初めて映画音楽も担当されています。
堂本 この作品はフィルムで撮られていて、役者さん同士の間(ま)がとんでもなくいいシーンが多すぎて、それを曲で消したくないと思いました。萩上監督に「曲いらなくないですか」って言ったぐらいです。どうしても必要なシーンを伺って、ここにこういう音があるといいかなってディスカッションして。音楽をつけすぎて世界観やフィルム感が消えてしまわないように必要最小限のところを曲で支える感じで。監督から「沢田が吹く口笛を考えておいてください」と言われていて、こんなイメージかなと思って、撮影中に何気なく生みだしたフレーズを元に、メインテーマみたいなものを作りました。悲しいのか幸せなのかわからない、なんともいえないメロディにしたかった。それが後半になるにつれてどんどん出てきて、全部のシーンが地続きになるようなイメージにする方法を採りました。起承転結のはっきりした映画だったら、めちゃくちゃ分かりやすく曲を作れたと思うんですが、監督の世界観に寄り添う音楽を作るのは、至難の業でしたね。芝居は芝居で本当に難しかったし、映画音楽デビュー作としては悩むことが多すぎて。でも、学ぶこともいっぱいあって、貴重な機会をいただいたなと思っています。
周りが自分じゃない自分を求めるほど、本来の自分を生きたくなる。その感覚をもって演じました。