ディーノから“跳ね馬”のエンブレムへ


GT4は1973年のパリモーターショーでデビューを飾った。シャーシは246GTのチューブラータイプをストレッチしたもので、ホイールベースは210mm延長された。エンジンは新設計のV8で、4基のウェーバーキャブレターを装着し排気量は2,927 ccであった。このV8エンジンは長くフェラーリの8気筒エンジンのベースとなり、横置きレイアウトも1975年に発表される308GTBへと引き継がれた。
フェラーリ(ディーノ) 308GT4のディテールをチェック(画像6枚)
スタイリングはベルトーネのチーフデザイナーであった、マルチェッロ・ガンディーニの手によるもの。このクリーンなウェッジシェイプはランボルギーニ ウラッコ、マセラティ カムシンに大きなシナジーを感じさせるものだ。さらにイタリアのスーパーカー業界では廉価版2+2が当時、トレンドでもあった。北米における安全基準や排気ガス規制の強化、そして決定的な打撃を与えたオイルショックの影響で、高価で趣味性の高いスーパーカーには当時、強い逆風が吹いていた。そこで、比較的廉価であり、排気量も小さく、かつ形式的に4名が乗れるというマーケティングにより、これらモデルが誕生したのだ。マセラティ メラク、ランボルギーニ ウラッコなどが、そのライバル達になる。
そのライバルたちの中でもディーノ308GT4の商品力はかなり高かった。なにせ2+2といっても、メラクは幼児ですらリアシートに座るのは嫌がるであろうというレベル。ウラッコもかなり厳しい。それに対してGT4のパッケージングもなかなか良くできており、かなりリアシートも余裕がある。インテリアの作り込みにも安っぽさを感じさせることはない。
また、GT4は北米マーケットでの拡販も大いに期待されていた。当時、フェラーリのラインアップで北米へ正規に輸出が行われたのはこのモデルだけであった。しかし、現実は厳しかった。前述のフサーロに言わせれば、「マラネッロにも、北米にもGT4の在庫の山があった」ということだ。このGT4にはフェラーリらしさが欠けていた。皆はピニンファリーナ流の豊か曲線をもったスタイリングをフェラーリに期待していたし、そもそもGT4は“ディーノ”というブランドのモデルであって“フェラーリ”とすら呼ぶことが出来なかったのだから。

そこで、フサーロらはこのGT4が“正しくフェラーリ”であるというブランディング再構築を行った。GTBのローンチと併せて「フェラーリ308GT4」とリネームされ、ディーノから跳ね馬のエンブレムへと変更が行われた。また、1975年にはイタリア国内仕様として高額の税負担を回避するために排気量を2000cc以下(1991cc)に抑えた208GT4もリリースされた。
GT4は生産が終了する1980年までに208、308併せて3500台以上が作られた。中古車市場において、一時期はかなり安価なプライスタグを付ける個体も見受けられたが、このところ、その価格は急上昇しているようだ。イタリアでは208と308の価格差がそれなりにあるが、それ以外のヨーロッパ各国では、その差は小さい。また、日本においては流通量が少ないということもあるが、両者の価格差がほとんどなく、逆に208が重用されることもある。
完成度の高いGTとしての評価は高く、そのクリーンなスタイリングと工作精度の高いボディワークとも相まって、近年、注目の一台と言えるのではないだろうか。
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文・写真=越湖信一 写真=フェラーリ 編集=iconic