知的で素敵なLUXURY LIFE 50の実例
膨大な情報に溢れる現代。経験と知識をどう得て、賢く楽しむか? を、衣食住遊~学・整まで、50の実例に。日常に“光=LUX”を与えてくれる新しい価値観をぜひご覧ください。
[実例10/装]
「信念のあるモノ選び」はいつか必ず財産になる
真に価値あるものを見抜く審美眼は、時を経て大きな財産を自身にもたらしてくれる。 その体現者である松山 猛氏に、目利きの秘訣を直撃取材した。

作家・エッセイスト
松山 猛さん
『タイムマシンにおねがい』、『帰って来たヨッパライ』など歴史的名曲の作詞や、映画『パッチギ!』の原案となった『少年Mのイムジン河』などが代表作。“時計王”の通称も有名。
──着目すべきは、“そこに文化があるか”
M.E. 目下かつてないほど人気が過熱する「ヴィンテージウォッチ」と「アルニス」。松山さんは、その両方を以前からトレードマークにしていらっしゃいました。その慧眼に驚くばかりです。



松山 アニオナやロロ・ピアーナも昔からよく着ているけどね。とはいえアルニスは、僕のワードローブに欠かせないものといえるでしょう。時計についてはいうまでもないですね。1970年代初頭、アメリカで偶然目にした’40〜’50年代のグリュエンが、僕を機械式時計の道へ誘ってくれました。当時はクォーツショック直後で、機械式は今後廃れていくものと見る向きも多かった。ムーブメントを廃棄し、金のケースだけ溶かして塊にしていた……なんて話も聞きました。でも僕にとって、ゼンマイと歯車で正確な時を刻む機械は人類の叡智の結晶に見えたし、この技術が失われるのは勿体無いと思った。それで創刊直後の『POPEYE』に見開き2ページの記事を書いたら、大きな反響があってね。それからアメ横あたりにチラホラと、ヴィンテージウォッチを扱うお店ができ始めたんです。
M.E. 日本にヴィンテージ時計店が根付くきっかけを作ったのが、松山さんの記事だったんですね! 話は変わって、アルニスとの出会いについては?
松山 ’80年代に東京で購入したジャケットが最初でしたね。当時の僕はヨーロッパ、とりわけパリに憧れていて、その魅力を体現したような一着に惚れ込んでしまった。その後、取材でパリ本店を訪れる機会を得られて、当主のジャン・グランベールさんとも友人になれた。自宅に招いてもらって、ご馳走をいただいたのも大切な思い出です。
M.E. 当時の日本で、アルニスはどんな位置づけだったんですか?
松山 “右岸のエルメス、左岸のアルニス”との誉れはすでに有名でしたが、近頃のように多くの人が奪い合うような存在ではなかった。もともとは大人の服でしたけれど、最近はむしろ若い世代に人気ですよね。個人的には、とても喜ばしいことだと思います。
M.E. いやはや、素晴らしい目利きですね。価値の変化が激しい現在において、松山さんのように確固たる審美眼をもつにはどうすればいいのでしょう?
松山 唯一無二。それがひとつの基準ではないでしょうか。さらにいえば、そこに“文化”が宿っているかどうか。機械式時計もアルニスも、僕を魅了したのは燦然たる文化の輝きでした。その価値は時を経ても決して色褪せず、むしろ輝きを増していくものなのです。



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[MEN’S EX Summer 2025の記事を再構成](スタッフクレジットは本誌に記載)
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