今も高い評価と価値のランニング・プロトタイプ

ブーメランは残念ながら1台が作られただけで終わってしまったが、その理由には前述のマーケティングからの不評だけではなかった。それはマセラティのオーナーであったシトロエンの業績不振、そして第一次オイルショックの到来である。
しかし、この完成度の高いランニング・プロトタイプの価値は、クラシックカー・マーケットでも高い評価を得て、現在に至る。多くのコンクールデレガンスでベスト・オブ・ショーを獲得すると共に2015年には3.7ミリオンUSドル(当時、約4億4400万円)という記録的な金額でオークションにて落札されるなど話題に欠かない。
それだけではない。このスタイリングテーマは以降、ジウジアーロの十八番として多くの名車を生み出した。ロータス エスプリやデロリアンなどだ。もちろん彼がブーメラン以降に手掛けたマセラティのスタイリングにもそれは活用されている。メディチ(コンセプトモデル)やクアトロポルテⅢである。
1972年に発表された3台のマセラティについて書かせて頂いた。あまり歴史的に取り上げられることのないシトロエン傘下時代だが、実はこのように積極的な開発が行われ、多くの設備投資がなされたマセラティにおける1つの黄金時代であったのだ。
越湖信一
モデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職のレコード会社ディレクター時代から、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。著書に『Maserati Complete GuideⅡ』などがある。
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写真=Maserati、Italdesign Giugiaro 文=越湖信一 EKKO PROJECT 構成=iconic