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「支えは親。それがいつかパートナーになるものです」(丸山さん)

支えは親。それがいつかパートナーになるものです。丸山さん

丸山 団体行動といえば、大学時代のゴルフ部を思い出します。僕は子どもの頃から連戦連勝だったから、誰にも文句は言わせなかったけれど(笑)。きっと辛かったでしょうね。

坪井 そんな厳しい練習をいつか忘れてしまうのが悔しくて、日記をつけ始めたのもその頃です。三日坊主で終わらないように簡単な箇条書きにしたら、引退以降も12年間続きましたね。

丸山 毒出しノートがあったんですね。

坪井 客観的に自分を見ることができるようになって、メンタルが強くなりました。自分のことを一番理解できるのは自分。迷ったときは“小さいほっち”に聞けばいいんだと思えたことで、楽になれたんです。

丸山 一種のメンタルトレーニングですよね。今から20年ぐらい前から盛んになったけれど、僕はそれ以前にコーチを兼ねた父の下で自分をコントロールする術を身につけてきたので、練習で積み上げてきた呼吸やリズムをただ実践するだけで良かった。父は面白い人で「オバケなんかいないから確かめてこい」と、夜中一人でお墓へ肝試しに行かされたこともあります。恐怖心というものは全くなかったですね。

坪井 そう言い切れるところが、丸山さんのすごいところですね。

「合宿所に戻りたくない」涙の片道切符からの成長

丸山 現役時代のオフは、どのように過ごされていたんですか?

坪井 週一回の休日には、目覚ましをかけずにお昼すぎまで寝坊したりしていました。どちらかというと、引きこもりタイプです。

丸山 のんびりするのが好き?

坪井 はい、好きです。まとまった休日が取れると、帰省していました。合宿所では掃除、洗濯、料理は自分たちで行うんですが、家事ってこんなに大変なんだ、地元にいた頃は練習に打ち込める恵まれた環境にいたんだと、感謝の気持ちが芽生えましたね。それだけに最初はホームシックがひどくて、岐阜に帰るときは片道切符しか買えませんでした。

丸山 合宿所に戻りたくなかったんですね。

坪井 特に母は良き相談相手でしたね。

丸山 その相手はやがてパートナーになるんでしょうね。

坪井 そういうものでしょうか。

丸山 僕の場合は妻です。黒板をチョークで引っ掻くようにキーキー怒る人が僕は苦手なんですが、妻は全く怒りませんから。

坪井 別れ際には新幹線のホームまで見送りに来てくれて、涙が止まりませんでしたね。ただ、辛くてもがんばれたのは、親を北京五輪に連れていきたかったから。それが一番やる気に繋がりました。いつしか片道切符ではなく往復切符を買うようになって、親が成長を感じたそうです。

丸山 今でも地元の方が好きですか?

坪井 東京の方が好きになりました(笑)。



「親を北京に連れていく。その一心でがんばりました」(坪井さん)

親を北京に連れていく。その一心でがんばりました。坪井さん

丸山 現在のオフは、ゴルフもされるとか。

坪井 実は引退後に、プロゴルファーを目指したことがありました。当初は長身を生かしてゴルフウェアのモデルをやらないかと誘われたんですが、いつしかコーチについてプロを目指すことになっていて。「あれ? モデルの話はどうなったんだろう」と(笑)。

丸山 プロゴルファーよりも、モデルの方が向いているのでは。

坪井 これまで新体操に打ち込んできたけれど、せっかく別のスポーツの機会を与えてくださったのだから、一年間がんばってみようと。コースに出る前に、正しいフォームなど基礎をみっちり教わりました。土管のような体型になりなさいと、アドバイスされたこともあります。

丸山 坪井さんが土管!? 絶対にやめてください(笑)。

坪井 引退後に通った大学で、あなたに向いているのではと先輩に勧められて、ヨガのインストラクターのライセンスも取得しました。当時はゴルフとヨガのレッスンに通いながらパーソナルトレーニングも受けていたので、現役時代よりもストイック。新体操を辞めてからは身体がなまって、締まりもなくなっていたので、鍛え直すためにも掛け持ちでがんばっていましたね。

丸山 僕なんかずっと締まりのない身体ですから、全然気になりません。ウリは包容力です(笑)。

後編に続く



[MEN’S EX 2021年6月号DIGITAL Editionの記事を再構成](スタッフクレジットは本誌に記載)

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