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隈 研吾さん

加藤 確かに隈さんは日本の地方にも多くの建築を造られていますが、きっかけとなるプロジェクトはどんなものだったんですか?

隈 ’80年代後半から建築設計の仕事を始めて、それから数年は青山とか代官山の物件の設計が舞い込んできたんだけど、’90年代になった途端にバブルが崩壊して東京の仕事が全部キャンセルされてプロジェクトが地方だけになり、いきなり暇になった。実際そこから2000年まで東京での仕事はゼロで、だから地方から呼ばれると大した用じゃなくても出かけていたんだけど、そんなとき「高知県の山間部に梼原(ゆすはら)町というところがあるんだけど、木造の芝居小屋が壊されようとしているから、町長に『残して欲しい』と言いに行こうよ」と友達から連絡があった。興味があったから行くことにして町長と酒を飲んだらすっかり仲良くなっちゃって、そこから30年の付き合いになるけど、今までに6軒の建物を設計している。僕は出身が横浜で地方に憧れがあったから、暇になったとき「自分が好きな田舎に行ってみよう」と切り替えられたことが転機になったね。

加藤 逆境が好機になったと。

隈 今回のコロナでも大変な状況があると思うけど、時間ができたり、今までの生活を変えることができるときは実はチャンスになるから、じっくり試したり考えたり、新しいことをやればいい。バブルがはじけなかったら、僕にしてもその土地の材料である木を使うスタイルの建築は生まれなかった。

加藤 隈さんが設計された建築の多くは木を使っていて、温もりがあります。逆境があったからこそ今のスタイルがあるんですね。

隈 講演会でも若い建築家に「暇を大事にすべきだ」と言っている。みんなどうしても仕事を取ろうとしちゃうし、しかも仕事があると忙しさにかまけて、本当に大事なことを考えなくなったりするから。



梼原町
©Kawasumi・Kobayashi Kenji Photograph Office

地元の木材を使い自然と調和。隈 研吾の作品群が待つ梼原

高知と愛媛の県境にあり“雲の上の町”と称される梼原町。「雲の上のホテル・レストラン」(1994年)、「梼原町総合庁舎」(2006年)、「まちの駅『ゆすはら』」(2010年)、「雲の上のギャラリー」(2010年)、「YURURIゆすはら」(2018年)、そして写真の「梼原町立図書館(雲の上の図書館)」(2018年)と6軒の建築は、隈 研吾×木造建築に触れる恰好の作品。https://kkaa.co.jp/

後編に続く

※表示価格は税抜き
[MEN’S EX 2020年12月号の記事を再構成]
撮影/前 康輔 スタイリング/後藤仁子 ヘアメイク/陶山恵実 文/岡田有加(81)

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