当初は代理店契約を結んでいた会社での販売だったXJ型だが、1988年にクライスラー・ジャパン・セールスが設立された。丁度その頃から円高へと進行したこともあり、グレードによっては500万円を超えていたモデルが、90年代に入ってからは段階的に価格が引き下げられ、やがて、手に届くモデルへと変わって行く。
日本で大ヒットした要因は、デザイン性とサイズ感もあるが、この価格、そして1992年から導入された右ハンドルモデルの存在がある。また、ホンダの販売店でチェロキーを扱ったことも大ヒットを導いた要因であった。
魅力を語り始めると止まらないが、最後に走行性能について紹介しておこう。
これは今のジープにも引き継がれていることだが、パワーユニットのラインナップに少々極端なところがある。スタンダードエンジンでは少々物足りなさがあるものの、上のエンジンではオーバーパワー、そんな設えだ。
XJ型には直4と直6が設定されていたが、日本に導入されたのは上位となる直6のほう。最終的にその上位エンジンは4リッターという排気量に落ち着いたが、フィーリングは豪快そのものであり、軽量なボディと相まってアメリカンマッスルカー的(絶対的には届いていないが)な愉しさがあった。もちろん、初期にはじゃじゃ馬と評されたフィーリングも、改良を経てジェントルなフィーリングへと変更されていったが、いずれにしても一時期は300万円を切るプライスで4リッターエンジンが手に入ったのだから、リーズナブル感があったことを今でも強く覚えている。
ロングセラーとなっていたXJ型だったが、衝突安全性において進化が求められ大改良を受けた97年モデルが登場する。スクエアなフォルムはそのままだが、角にラウンドさせたテイストを加えて、新しさを表現。ジェントルになっていたエンジンとボディ剛性アップによって高められた乗り心地は高く評価されたが、デザインからカクカクテイストが失われたことから、それ以前のモデルにこだわるユーザーも多かった。
その後、円安やホンダが手を引いたこと、さらには輸入車独特の細かなトラブルに我慢ならないユーザーも出て、チェロキーへの注目度は段々と収まっていった。