学校の様子をお聞かせください
「技術を習得してもパリで働くのは不可能に近く、留学生のほとんどは自分の国に帰ってしまいます。そのため、入学初日から校長先生に相談に行き『どうしてもパリで働きたいんです。そのために労働許可証取得が必要なのは理解しています、どうすれば労働ビザを取れるか、なんでもいいからアドバイスをください!』と直談判しました。ただ校長先生からはまったく相手にされず、ただ『まずは勉強しなさい』としか言ってもらえません。私のような生徒はたくさんいたので、こんなことに耳を貸していたらキリがないといった様子でした」。
「そこで帰り際、『自分で作った手縫いのボタンホールです。これだけでも見て欲しい』と100数十個作ったボタンホールをカバンから取り出しました。すると、校長先生が『手縫いのボタンホールだって? 珍しいじゃないか』と興味を持って、一つ一つ丁寧に見てくれました。次第にその数と丁寧さに感心してくださり、周りにいた先生たちをみな呼び『よく見ろ、これが本来のボタンホールなんだ! 機械で縫ったものとの違いがわかるか?!』と。そして『君は佐藤みたいだな!』と、佐藤さん(※)も、この学校に通っていた卒業生で先輩にあたると教えていただきました」。
※ペコラ銀座の佐藤英明さん
よかった! 鈴木さんの熱意が伝わったんですね!
「パリで最初に研修したアルニスで真っ先に教わったのは、手縫いのボタンホールでした。アトリエで生地の端切れをもらい、そこに穴を開け、ひたすら練習していたんです。校長先生もこいつは本気だと気づいてくれたのでしょう。校長先生のお父様はドゴール大統領専属のテーラーで、過去に全世界洋服協会の会長をなさっていました。小さなころからアトリエに出入りして手縫いをみていた先生だからこそ、テーラードの技術が大切だと思っていたのでしょうね。そこからほぼ毎日、授業が終わるたびに校長先生に自分の作品を見てもらいました」。
「また、電話ボックス内のタウンページでテーラーを探して、パリにあるすべてのテーラーに自分の作品を見せ、『私を雇って欲しい』とプレゼンテーションをして回っていました。作品を見せるとほぼすべてのテーラーで『これだけできるなら雇いたい。月曜から来なよ』と言われます。が、会話の最後に『労働ビザが無いんですが……』と伝えると、みな手を振って『うちじゃ、ビザは取れないよ。(手続きが)複雑すぎて訳がわからないし、そういう場合はもっと大手のテーラーに行きなよ』と断られてしまいました」。
断られてばかりで、落ち込みませんでしたか?
「毎週末、あちこちのテーラーを回っては断られたことを校長先生に話すと、いつも優しく聞いて『あのテーラーは行ってみたか? こっちは試してみたか?』とアドバイスを下さるんです。私は断られてばかりいるのに不思議と楽しかったのを覚えています。それは断られてもテーラーさんから、なにかしらのアドバイスがもらえたのも理由の一つかもしれません。自分が行動することで少しでも前進するのを日々体感していました」。
後編へ続く
取材・構成/川田剛史