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——この頃の日本の音楽シーンって、フォークからロックへ、っていう時代じゃないですか。それこそ、内田裕也さんに代表されるような、日本のロック第一世代だと、英語で歌わなきゃ駄目だ、みたいな流れもあったわけじゃないですか。

松山 ああ、ロックロックした人たちはね。

——以前、故・かまやつひろしさんにインタビューしたときに、70年代初期に野音でのフリーコンサートに出演した際、裕也さんに「ムッシュ、ロックなんですか、フォークなんですか。はっきりしてください!」って言われたって。そういうロックロックしたものに対する対抗意識みたいなのはあったんでしょうか?

松山 それは別に。もっとナチュラルな感じ。ていうか、僕は日本語しかできないから、自然な流れだった。こっちは日本の歌を歌うような世界だからね。日本語だって、いろんなことできるぞって。

サディスティック・ミカ・バンド

——ミカ・バンドもそうですけど、はっぴいえんどとかも日本語でやる感じでしたもんね。ちなみに、日比谷の野音あたりで、当時よく行われていたフリーコンサートや、10円、100円コンサートみたいなのに行ったりされていました?

松山 よく行きましたよ。成毛滋、ゴールデンカップス、あと横浜のギタリストの陳信輝とか見たね。

——その頃の野音って、どんな雰囲気でした? ヒッピームーブメントとも重なる時代ですが。

松山 今より、もうちょっと自由になれるかも、みたいな空気感はあったかな。学生運動っていうか、安保闘争はそんなに長く続かないで終わっちゃうわけじゃない。政治的なものが収束していく中で、どんどん過激な方向に行っちゃうヤツもいて、それが浅間山荘事件になったりするんだけど。

なんか、もうちょっとで、ひょっとしたら世の中変わるかな、みたいな気持ちは芽生えてたね。変わんなかったけどね。もちろん変わった部分もあるけど、もっと良くなると思ってた。まだ、その世界が訪れてませんけどね。

——当時の若者は、どんな世界を思い描いていたんでしょう。

松山 もうちょっとみんなが自由にものを言えて、経済的にももうちょっと楽な時代が来んのかなと思ってたけどね。むしろ、今の日本の政治って、もっと保守的になってきてるし。

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