まるで映画のワンシーンみたいな出来事が日常の中に起こってくる、それがまたパリなんですね。
─10区カナル・サン・マルタンにて
サン・マルタン運河で出会った初老のカップルが鍵に託した願いとは?
ブレゲの腕時計との出会いも、またパリだった。
20代の中頃、ほとんど毎日敬愛する先輩達と過ごしていた。ときはバブル真っ只中。俳優という仕事は特にバブルの恩恵を受けることはなかったが、周りの人々が浮かれている姿を見て、なんとなくウキウキしていたことを思い出す。前号にも記したが、その先輩方はファッションに精通し、生き方においても洗練された方々が多く、本物を見抜く力を持っていた。そんな先輩方から「貴一、時計を買うならブレゲがいいぞ。パリに行くなら見ておいで。」と勧められ、今まで耳にしたこともない時計のメーカーに興味を持った。
実質的に休眠状態だったブレゲを、老舗ジュエラーのショーメが復興させて間もない時分だったと思う。まだ雑誌などでもそれほどブレゲに関する情報は出ていなかった。あるCM撮影でパリを訪ねたとき、ヴァンドーム広場付近でのロケの合間に、先輩に教えてもらったブティックをちょっと覗いてみようと、無謀にも店のブザーを押したのだが……。このあと私はスタッフを2時間も待たせる羽目になってしまった。ショーメの2階にあったブレゲの売り場に通され、「この人買う気あるのかしら」みたいな顔をしている初老の女性販売員とふたりだけの空間。特に時計をすすめることもなく、じっーと私を見つめている。言葉も交わさず、ディスプレイされている時計の音がやたら大きく聞こえた。ちょっと下見のつもりで入った私だったが、甘かった(笑)。スタッフも僕が戻らないのでソワソワしていたようだったが、敷居が高いのか誰も店に入って来ない。この後、覚悟を決めてファーストブレゲを手にしたのは言うまでもない。28歳だった僕にはブランドの威光の前で足がすくみそうだったという思い出だ。
それから20年以上の月日が流れ、何度となくパリに足を運んできたが、まだまだ知らないことや、行っていないところだらけだ。このページのロケ地であるサン・マルタン運河も今回が初めての場所。暖かくなると運河沿いに人々が集まって、ワインを片手に楽しい時間を過ごす姿も見られるらしい。
この運河に架かる橋の欄干のフェンスに、沢山の錠が取り付けられている。カップルでここへきてフェンスに錠をかけ、鍵を運河に投げ込むと願い事が叶うと信じられているそうだ。するとちょうど、初老のカップルが通りかかり、本当に錠をカチャっと掛け、女性の方が勢いよく鍵を運河に放り込んだ。男性は僕にウインクして「WISH!」と言って去っていった。2人はどんな願い事をしたのだろう?まるで映画のワンシーンのような日常がパリにはある。