「それまで靴修理という仕事にコンプレックスを感じたこともありました。まだまだ、街の修理店を見てもオシャレとは言い難いものでしたから。だからこそ、すごいお店を作ろうとの思いが強かったんです。当時のキラー通りはとてもイメージがよくて、入りたいけど、入りにくいような、かっこいいお店も多かったんです。そこを狙っての出店。シャンデリアやアンティーク家具、什器にこだわり、外観にできる限りお金をかけながら、自分も体を使って内装工事を手伝う。作業をしていると興味を持った道行く人が『なにができるんですか?』と聞いてくれて、靴修理店と答えると驚かれました。普通は工期が決まっていて慌ただしくお店が出来上がりますよね。でも、青山店はオープン日を決めずに海外から棚が届くのが一か月遅れても、それを待つような進め方でしたから、どんどんと作業期間は伸びて、結局完成までに3〜4ヶ月かかりました」
青山店はオープンすると大きな反響を呼び、ユニオンワークスの売り上げは跳ね上がることに。ピーク時には受付を待つお客さんが店舗の外にまであふれて並ぶほどだった。この頃が高級靴ブームのピークだったと中川さんは振り返る。青山店では従来、積極的には引き受けていなかったレディスシューズの修理を本格的に始めたことで女性客も増えた。