菅原靴店 ファクトリーギャラリーを見る(写真3点)
【人物】
菅原 誠さんは3代目。子どもの頃から、いずれ店を継ぐことを覚悟していたため、好きな接客業を、とプリンスホテルに就職。配属は高輪プリンスホテルだった。しかし、職場を共にしたカナダで生活経験のある先輩に感化され、海外留学を決意。’98年、靴の仕入れ先でもあったイタリア行きを父親が推した。イタリアでは語学を習得し、後にミラノの「プラダ」に就職。サービスを肌で覚えて帰国した。
【売れ筋】
日本に戻ると、なんと店は債務超過に陥っていた。まず取った策は、当時ブームだったコギャルをターゲットにした、厚底ブーツの販売。バカ売れしたが、馴染みの上客が離れてしまった。目先にとらわれたことを反省し、本来の「菅原靴店」の取り引き先だったイタリアの靴や、良質なインポート靴の仕入れにシフト。「ジンターラ」「ロドルフ・ムニュディエール」など、オーラが際立つ、つくりが巧みな靴を並べると、1足、2足と売れ始めたのだ。ネット販売も奏功し、店は軌道に乗り始め、東北を代表する靴店にまで成長した。
【接客】
「いい靴を見たり履いたりできるショップが、盛岡にあるのが大事」と、菅原さんは言う。「親子で来店すれば、靴を履いているところを見たり、様々な靴に触れたりして、子どもの感性も育つ。東京に行かずとも地元にあれば、文化や価値観をレベルアップすることができる」と重ねる。菅原さんがイタリアで学んだ、たっぷりと時間をかける接客や爽やかな挨拶をショップスタッフも実践し、信頼と親しみやすさを得ている。”いらっしゃいませ”ではなく、「菅原靴店」では、”こんにちは”で客を迎える。