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「誤用の多い慣用句」クイズ

<p>【意味】会話などをうまく繋げず、相手との時間を持て余してしまうこと。することがなく手持ち無沙汰なこと。</p>

【意味】会話などをうまく繋げず、相手との時間を持て余してしまうこと。することがなく手持ち無沙汰なこと。

<p>しばしば「間が持たない」と誤用される。ここでの「間」は時間を表し、それを持て余す(自分のものにできない)ことから「間が持てない」という。</p>

しばしば「間が持たない」と誤用される。ここでの「間」は時間を表し、それを持て余す(自分のものにできない)ことから「間が持てない」という。

<p>【意味】素晴らしいものとして定評のあること。</p>

【意味】素晴らしいものとして定評のあること。

<p>「極め付け」と言われることも多いが、本来は誤用。「極め」とは美術品などに付けられた鑑定書のことで、品質や真作を証明するもの。「折り紙付き」と同義。</p>

「極め付け」と言われることも多いが、本来は誤用。「極め」とは美術品などに付けられた鑑定書のことで、品質や真作を証明するもの。「折り紙付き」と同義。

<p>【意味】激しく怒ること。</p>

【意味】激しく怒ること。

<p>「怒り浸透に達する」といわれがち。「心頭」とは心の中のこと(「心頭滅却」の心頭と同じ)。“心の中核から発せられる怒り”という意味。</p>

「怒り浸透に達する」といわれがち。「心頭」とは心の中のこと(「心頭滅却」の心頭と同じ)。“心の中核から発せられる怒り”という意味。

<p>【意味】多くの人々が同じ場所に集まること。</p>

【意味】多くの人々が同じ場所に集まること。

<p>「一同に会する」は誤り。「堂」は多くの人が集まる建物の意味。</p>

「一同に会する」は誤り。「堂」は多くの人が集まる建物の意味。

<p>【意味】周りの誰からも十分に実力を認められていること。</p>

【意味】周りの誰からも十分に実力を認められていること。

<p>「押しも押されぬ」と誤用されることが多い。相手を押しのけることもなく、他人から押しのけられることもない不動の地位を表す言葉。</p>

「押しも押されぬ」と誤用されることが多い。相手を押しのけることもなく、他人から押しのけられることもない不動の地位を表す言葉。

<p>【意味】全く相手にされないこと。話を取り合ってくれないこと。</p>

【意味】全く相手にされないこと。話を取り合ってくれないこと。

<p>「とりつく暇がない」は誤り。本来は海で溺れているときにしがみつく陸地がないこと=頼れるものがないことを表す。</p>

「とりつく暇がない」は誤り。本来は海で溺れているときにしがみつく陸地がないこと=頼れるものがないことを表す。

<p>【意味】要点を正確につかんでいること。</p>

【意味】要点を正確につかんでいること。

<p>「的を得る」(理にかなっていること)との混同から「的を得る」としばしば言われる。本来誤りとされてきたが、昨今は言葉の変化として許容される向きもある。</p>

「的を得る」(理にかなっていること)との混同から「的を得る」としばしば言われる。本来誤りとされてきたが、昨今は言葉の変化として許容される向きもある。

<p>【意味】相手の話や歌などを盛り上げるために加える言葉や掛け声。</p>

【意味】相手の話や歌などを盛り上げるために加える言葉や掛け声。

<p>「相槌を打つ」との混同から「合いの手を打つ」と言いがち。もともとは邦楽で、唄と唄の間に挿入される楽器の演奏部分を指す。</p>

「相槌を打つ」との混同から「合いの手を打つ」と言いがち。もともとは邦楽で、唄と唄の間に挿入される楽器の演奏部分を指す。

<p>【意味】不平や不満などを晴らし、すっきりとした気分になること。</p>

【意味】不平や不満などを晴らし、すっきりとした気分になること。

<p>「溜飲を晴らす」「溜飲を収める」などは誤用。「溜飲」とは飲食物が胃で消化されずに留まっている際に、胃液が喉まで上がってくること。</p>

「溜飲を晴らす」「溜飲を収める」などは誤用。「溜飲」とは飲食物が胃で消化されずに留まっている際に、胃液が喉まで上がってくること。

<p>【意味】周りの人に対して、にこやかな態度で接すること。</p>

【意味】周りの人に対して、にこやかな態度で接すること。

<p>「愛想を振りまく」は間違い。「愛嬌」とは“可愛らしさ”や“にこやかさ”そのものを意味し、「愛想」はそういった“態度”を示す。「愛想がよい」が正しい形。</p>

「愛想を振りまく」は間違い。「愛嬌」とは“可愛らしさ”や“にこやかさ”そのものを意味し、「愛想」はそういった“態度”を示す。「愛想がよい」が正しい形。

さて、あなたは全て正しく答えられただろうか? 言葉は時代とともに変化するものとはいえ、TPOによっては旧来の用法が相手の好感につながることもあるはず。“正しい”とされる言葉をこの機会にしっかりマスターしてほしい。

知っておけば、いざというとき恥をかかない! 「大人の教養検定」の関連記事はコチラ

構成・文/小曽根広光

<p>【意味】会話などをうまく繋げず、相手との時間を持て余してしまうこと。することがなく手持ち無沙汰なこと。</p>

【意味】会話などをうまく繋げず、相手との時間を持て余してしまうこと。することがなく手持ち無沙汰なこと。

<p>しばしば「間が持たない」と誤用される。ここでの「間」は時間を表し、それを持て余す(自分のものにできない)ことから「間が持てない」という。</p>

しばしば「間が持たない」と誤用される。ここでの「間」は時間を表し、それを持て余す(自分のものにできない)ことから「間が持てない」という。

<p>【意味】素晴らしいものとして定評のあること。</p>

【意味】素晴らしいものとして定評のあること。

<p>「極め付け」と言われることも多いが、本来は誤用。「極め」とは美術品などに付けられた鑑定書のことで、品質や真作を証明するもの。「折り紙付き」と同義。</p>

「極め付け」と言われることも多いが、本来は誤用。「極め」とは美術品などに付けられた鑑定書のことで、品質や真作を証明するもの。「折り紙付き」と同義。

<p>【意味】激しく怒ること。</p>

【意味】激しく怒ること。

<p>「怒り浸透に達する」といわれがち。「心頭」とは心の中のこと(「心頭滅却」の心頭と同じ)。“心の中核から発せられる怒り”という意味。</p>

「怒り浸透に達する」といわれがち。「心頭」とは心の中のこと(「心頭滅却」の心頭と同じ)。“心の中核から発せられる怒り”という意味。

<p>【意味】多くの人々が同じ場所に集まること。</p>

【意味】多くの人々が同じ場所に集まること。

<p>「一同に会する」は誤り。「堂」は多くの人が集まる建物の意味。</p>

「一同に会する」は誤り。「堂」は多くの人が集まる建物の意味。

<p>【意味】周りの誰からも十分に実力を認められていること。</p>

【意味】周りの誰からも十分に実力を認められていること。

<p>「押しも押されぬ」と誤用されることが多い。相手を押しのけることもなく、他人から押しのけられることもない不動の地位を表す言葉。</p>

「押しも押されぬ」と誤用されることが多い。相手を押しのけることもなく、他人から押しのけられることもない不動の地位を表す言葉。

<p>【意味】全く相手にされないこと。話を取り合ってくれないこと。</p>

【意味】全く相手にされないこと。話を取り合ってくれないこと。

<p>「とりつく暇がない」は誤り。本来は海で溺れているときにしがみつく陸地がないこと=頼れるものがないことを表す。</p>

「とりつく暇がない」は誤り。本来は海で溺れているときにしがみつく陸地がないこと=頼れるものがないことを表す。

<p>【意味】要点を正確につかんでいること。</p>

【意味】要点を正確につかんでいること。

<p>「的を得る」(理にかなっていること)との混同から「的を得る」としばしば言われる。本来誤りとされてきたが、昨今は言葉の変化として許容される向きもある。</p>

「的を得る」(理にかなっていること)との混同から「的を得る」としばしば言われる。本来誤りとされてきたが、昨今は言葉の変化として許容される向きもある。

<p>【意味】相手の話や歌などを盛り上げるために加える言葉や掛け声。</p>

【意味】相手の話や歌などを盛り上げるために加える言葉や掛け声。

<p>「相槌を打つ」との混同から「合いの手を打つ」と言いがち。もともとは邦楽で、唄と唄の間に挿入される楽器の演奏部分を指す。</p>

「相槌を打つ」との混同から「合いの手を打つ」と言いがち。もともとは邦楽で、唄と唄の間に挿入される楽器の演奏部分を指す。

<p>【意味】不平や不満などを晴らし、すっきりとした気分になること。</p>

【意味】不平や不満などを晴らし、すっきりとした気分になること。

<p>「溜飲を晴らす」「溜飲を収める」などは誤用。「溜飲」とは飲食物が胃で消化されずに留まっている際に、胃液が喉まで上がってくること。</p>

「溜飲を晴らす」「溜飲を収める」などは誤用。「溜飲」とは飲食物が胃で消化されずに留まっている際に、胃液が喉まで上がってくること。

<p>【意味】周りの人に対して、にこやかな態度で接すること。</p>

【意味】周りの人に対して、にこやかな態度で接すること。

<p>「愛想を振りまく」は間違い。「愛嬌」とは“可愛らしさ”や“にこやかさ”そのものを意味し、「愛想」はそういった“態度”を示す。「愛想がよい」が正しい形。</p>

「愛想を振りまく」は間違い。「愛嬌」とは“可愛らしさ”や“にこやかさ”そのものを意味し、「愛想」はそういった“態度”を示す。「愛想がよい」が正しい形。

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