東京オリンピック開催まで、いよいよ1年を切った。出場を目指し、凌ぎを削る日々が続くアスリート達。その闘いの人生の中で、どんな矜持を培ったのか。ビジネスマンにとって勝負をかけるときの戦闘服=スーツを纏い、闘いの美学を語ってもらった。
「とにかく勝つこと スポーツは、勝って初めて認められる」
車いすフェンシング 藤田道宣 選手
2016年のリオパラリンピック出場が叶わなかった藤田選手。悔しさをバネに東京パラリンピック出場を目指し猛練習を重ね、現在有力候補と目されている。
「落選した時は落ち込みましたが、冷静に自己分析すると完全に実力不足。今思えば、自らを見つめ直す良い機会になりました」
車いすフェンシングは、フェンシング競技のなかでもメンタルの要素が強いと言われる。車いすを固定した状態で行われることから相手との距離が近く、特に藤田選手が挑むフルーレはスタートの合図とほぼ同時と言えるほど一瞬で勝負が決まる。つまり、初手の読み合いが重要になってくるのだ。
「一瞬ゆえに、動きのスムーズさや美しさが重要になってきます。いくらランプがついても、最終的に判断するのは審判。決め手となる動きが乱雑だと、ポイントが認められないこともあります」
種目にもよるが、藤田選手が挑むフルーレにおいては、相手だけでなく審判に対しての印象も考慮して闘う必要があるというわけだ。そこには、勝者であり続けることも重要になってくる。
「強い選手のスタイルが、いつしか基準になってゆくんです。その動作や所作に皆が憧れて真似をする人が増えることで、試合においてもその動きがポイント判定に影響を与えるようになることが多分にあります。やはりスポーツは勝たないと、そして強くないとダメなんです」
そんな藤田選手は、今回の撮影で久しぶりにスーツに袖を通し、身が引き締まったという。
「国際大会でよく見かけるイタリアの選手って、お洒落なんです。車いすも派手な色にペイントしていますしね。僕も真似してみたいと思っているんですが、まだまだ実力不足。オリンピックに出場して結果を残すことができたら、やってみようと思います」
その時は、是非ゴールドでペイントされた車いすで闘う藤田選手を見てみたい。
藤田道宣(ふじた みちのぶ)
1986年熊本県生まれ。高校でフェンシングをはじめ、19歳の時に事故で下半身麻痺となるが車いすフェンシングで再起。昨年、W杯で3位に。日本オラクル所属。