いまも手元に残るブルックス ブラザーズのシャツ
学生時代のお気に入りの一つがブルックス ブラザーズ。太田さんをとても可愛がっていたお姉さんが、ブルックス ブラザーズでたびたび洋服を買ってくれた。そのなかでも、クレイジーパターンのBDシャツは、いまだに手元に残しているほど愛着があるそうだ。 筋金入りのアイビー少年だけに、グレーフランネル、グレンプレイド、ステンカラー、ピーコート、タッセル、おかめ(白×黒のウイングチップの愛称)といった用語には、高校生ながらに長けていた。「当時、もっぱら周囲はパーソンズやセーラーズ(※)といったブランドを着ていましたね」というから、かなりの早熟ぶりである。
※パーソンズはDCブランドのひとつで1980年代に若者の間で一世を風靡した。セーラーズは1980年代の人気TV番組『夕やけニャンニャン』で、出演者が着用したことをきっかけに大ヒットしたカジュアルウェアブランド。当時の印象的な装いを聞くと、高校3年で剣道部を引退してからはステンカラーコート、ピーコート、ワラビーなどを着用していたとのこと。引退するまではクラブ活動三昧で、親族以外の女性と話す機会がなかったのに、引退後は女の子と遊ぶ機会もグンと増えた。
「今思えば、チャラチャラしていました」と太田さんは恥ずかしそうに笑う。
全身ドリス ヴァン ノッテンの時代も
さらに高校時代の友人のお兄さんからアメカジがかっこいいと教えられ、高校在学中からはそちらにも目を向けた。次の大きなファッションの波は太田さんが20歳のときに訪れる。行きつけの原宿のショップ、プロペラの馴染みのスタッフから「そんなに好きなら、その道に進んだほうがいいんじゃない?」との助言もあり、フランス発祥のファッション専門学校、エスモードジャポンに通い始めたのだ。すると、これまでのアイビーやプレッピー、アメカジとは違い、学校で周囲が着ているのはヨウジヤマモト、コム デ ギャルソンばかり。そうしたクリエイティブなブランドの面白さにも興味を持った太田さんが特に好きだったのはドリス ヴァン ノッテンだ。
「20歳代前半は全身、ドリス ヴァン ノッテンのときもありましたね」と語る太田さんは、専門学校3年生の時、就職活動用の洋服を買いに出かけたユナイテッドアローズでアルバイト募集の告知を目にする。
すぐに採用が決まり、週に2、3日の勤務から始めたものの、卒業が迫ると勤務は週1日に減ってしまった。
ユナイテッドアローズでは「たった週一日のアルバイトではちょっと……」と、ややお荷物扱いの空気もあったが、当時の勤務先であった原宿店の店長の推薦もあり、1995年にはユナイテッドアローズに入社することができた。
コラム:太田さんの思い出の私物を拝見 PART2 (写真3枚)
※この記事は前編・後編にわけてお送りします。 >>[後編]はこちら
撮影/小澤達也(Studio MUG) 取材・文/川田剛史