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ザ・フォーク・クルセダーズとイムジン河

——「イムジン河」を、フォークル(ザ・フォーク・クルセダーズ)が歌うことになったのは、どういう経緯が?

松山 当時フォークルは、コミカルバンドっていう定評で、まあ、みんなを笑わせるような音楽を主にやってたの。だから、そういう印象を持たれている人たちだからこそ、逆にシリアスな歌がいいんじゃないかなと思って、「イムジン河」を薦めたんだ。

——フォークルは、国内外の民謡もカバーしていたから、そういう方向性をもともと持っていたわけですよね。グループ名の由来は、ジャズのクルセダーズの……。

松山 あれをもじったものだと思う。加藤は、いろんなものを聴いてたからね。

——すべてにおいてパロディ感覚が活かされていたような印象もありますが。

松山 そうそう。だから、「ヨッパライ」の作詞者のクレジットも、最初はフォーク・パロディ・ギャングだよね。また話が行ったり来たりするけど、「イムジン河」は、そういう中にあって、シリアスな内容の歌だからね。

それから、フォークルの「イムジン河」は、メロディも原曲とちょっと違うんですよ。というのは、僕はそんなに音楽の素養がないし、楽譜もきちんと読めないし、耳で覚えてただけで、そのメロディを口伝えで加藤に教えたんです。でも頭の中で、マイナーなところをメジャーに変換しちゃってたらしくて。あとでそこを突かれた(笑)。レコーディングも、そのままメジャーで。そのほうが聴きやすかったんだと思う。微妙な違いなんだけどね。

——でも、結構それで印象が違いますもんね。

松山 歌詞もね、いざフォークルでやろうっていうことになって、練習してみたら、言葉の尺が全然足りなくて、これを歌いたいけど、継ぎ足さなきゃ駄目だと。猛が持ってきたんだから、2番、3番をつくれよっていう話になって、急遽つくったんですよ。

ステージで最初に歌ったときのことを思い出すね。京都市内のホールだったと思うけど、北山がいつもMCをやっていて、観客は、またちょっと前置きで面白いことを言うんじゃないかなと思ってたわけ。でも、全くシリアスな調子で「我々も悩みがある」みたいな話で前振りをして、で、歌い出したら、みんなにわあって思いが伝わったっていうかね。いい瞬間でしたよ。

——その後、「帰って来たヨッパライ」の大ヒットを機に、フォークルは一度解散しながら、再結成して上京し、プロ活動をスタートさせることになるんですね。

松山 プロになったときに、はしだのりひこが入ってきたの。ほかの連中はみんな、もう嫌だって言ったんだよね。親の承諾がなきゃいけないとか、芦田君は無銭旅行で海外に行くって言って、シベリア鉄道経由でヨーロッパまで行ってしまったり。最後は、北山と加藤しか残らなかった。で、「どうする? 高い声が出るやつも必要だし」みたいな。そしたら、口もうまいし、はしだを誘おうか、っていう話にどうもなったらしいんですよ。

——なるほど。昔の映像を探すと、その三人のが結構残ってますね。

松山 まあ、デコボコで面白かったんだけどね。当時はとにかくテレビに出倒してましたね。フジテレビの音楽番組で10週連続1位になったんですよ。で、僕も作詞の片割れだから呼ばれて、高橋圭三さんの番組だったか、「夜のヒットパレード」だったか、なんかそういうので盾をもらいましたよ。僕は、まだ京都の広告代理店でデザインの仕事やってたんだけど、そこの社長が面白い人で「松山君、君に特別な部屋を作るから、ずうっと詞を書いてなさい」って。「オレはデザイナーで雇ってもらったんだから、やめてくださいよ」って(笑)。

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