日本フェンシング協会会長・太田雄貴さんが「夏の装いで大切にしていること」とは? 日本フェンシング協会会長・太田雄貴さんが「夏の装いで大切にしていること」とは?

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加藤綾子さん、設楽洋さん

加藤他には、どんな商品を売られていたんですか?

設楽小さい頃にテレビが家にやってきて、アメリカの映画やドラマを観て育った僕ら世代の男たちは、ほとんどがアメリカに憧れていました。ただ、現地のライフスタイルが手に入るような場所がなかった。だったら「自分でやっちゃおう!」と思ったのと、原宿の雑居ビルの一角に出した一号店の広さもワンルーム程度だったので、そこをUCLAの学生の部屋に見立てて、パイン材のテーブルを置いたりして、スケボーのホイールや蝋燭立て、スニーカーやジーンズやT シャツ、ネズミ捕りなんかを売り始めました。最初のビームスの屋号には「AMERICANLIFE SHOP BEAMS」と付いていたんですよ。

加藤実際に買い付けにも?

設楽行きましたね。ビームスができて半年後に書店に並んだ『ポパイ』の創刊号が、偶然にもカリフォルニア特集で、時代の風を感じました。ちょうど編集部に大学時代の悪友がいたんで「アメリカで”ニケ”って靴が流行ってるらしいよ」とか言って。でも、買い付けに行って、店に持って帰ってきて初めて「ニケ」じゃなくて「ナイキ」と読むらしいと知ったり(笑)。それくらい情報がない時代でした。

加藤ビームスの最初のヒット商品は何だったんでしょうか?

設楽ロゴトレーナーです。現地のUCLAで学生の部屋を見たり、生協とかに買い付けに行ったときに、学生たちがみんな「UCLA」と書かれた服を着ていて。でも、持ち帰ってくる数は限られるので、「BEAMS」というロゴのトレーナーを作ったら、日本の学生の間で大ヒットしました。1978〜79年くらいだったと思います。

加藤足がかりが作れたんですね。

設楽ただ、そのままだとBEAMSと名前の付いたものだけを売るキャラクターブランドになってしまうと思って、ある程度のところで終わりにしました。ファッションの世界は引き際の判断を誤らないことが大切で、儲かるからといっていつまでも売り続けていると、必ず失敗します。僕も一度突っ込みすぎたことがあって、1989年に紺ブレにデニムという、パリでもニューヨークでもない日本のストリートが初めてトレンドを生んだ渋カジブームのときに、ある日ぱたっと流れが止まって、ものすごい在庫を抱えてしまいました。

加藤引き際の見極めは?

設楽トレンドをいち早くキャッチしているオピニオンリーダーたちが、店で何を探して、何を迷い、何を手に取ったかを定点観測することで、見えてきます。ただ、これはPOS上の数字からはわからなくて、ある種の早い人たちが先に気にしていたものが、次のシーズンにマスの間で爆発的にヒットすることがある。ちなみに僕自身はそのマスの中心、ミーハーの頂点にいると思っています。

加藤私はたぶんマスですね(笑)。

設楽実際に利益が出る商品がマスに落ちた後であっても、常に新しいことや早いものを打ち出していかないと、気がつかないうちに、感度の高いお客様が去っていってしまう。だから、プロしか価値がわからないような削り出しのソムリエナイフも、あえて雑貨コーナーに置く。ほとんどの人は素通りでも、見る人が見たら「こんなものが置いてあるなら、たまにチェックしに来ないとまずいな」と思ってくれる店であり続けたことが、42年間やってこられたポイントだと思っています。

(後編へ続く)

スペシャルフォトギャラリー

[MEN’S EX 2018年4月号の記事を再構成]
撮影/柏田テツヲ(KiKi inc.)  スタイリング/後藤仁子  ヘアメイク/遊佐こころ(PEACE MONKEY)  文/岡田有加(edit81)

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