パリ全体を見渡したいと思って、モンマルトルのサクレ・クール寺院まで足を運んでみました。
眼下に広がるパリの街は、まだ肌寒い早朝の空気にけぶって、物憂げ。
今号から、私の連載企画「好貴心」をお届けすることになりました。
雑誌で連載をもつのは、初めてのことなので、緊張しながらもワクワクしています。
私、中井貴一が等身大の自分自身として感じていること、興味を惹かれていること、不満や嘆きたいこと、などなどを取り上げ、読者の皆さんと、何かを共有できたなら、これ以上の喜びはありません。
この企画は、まずパリからスタートさせたいと思いました。
なぜならパリは、私の多感な頃の好奇心を多いに刺激し、本当にたくさんのことを教えてくれた街だからです。
(中井貴一)
そいつのカッコよさに、僕はムカツキながら目が離せなかった。
初めてパリを訪れたのは、もう30年近く前、大学を卒業し、学生俳優から職業俳優へと決意した時だった。確かブルターニュ地方のベル・イルという島だったと記憶しているが、クルマのCM撮影をそこで行なう際に、パリにも滞在した。当時、僕にはパリに来たら絶対に買いたいものがあった。高級革製スニーカー(笑)。学生時代、テニスに明け暮れた僕は、いわゆる高級ブランドに対する知識も関心も全くと言っていいほど持ち合わせていなかった。1万円以上もする(!)、高級運動靴が流行し始めたその頃、金銭的理由から日本では買えず、あこがれの象徴だった。
それを手に入れた満足感を胸に、島での撮影に臨んだとき、一人のフランス人のことが、妙に気になり始めた。ロケ車のドライバーの男性だった。ローゲージのニットに赤いマフラーをキュッと巻き、くわえタバコでマニュアル車をぶっきら棒に運転する。手には、日本では目にしたことのない移動時に使うプラスチック製コーヒーカップ。当時はそれさえも、もの珍しかった。「なんだろう、こいつのこのカッコよさは……?」僕は半ばムカツキながら、彼の一挙一動から目が離せなくなってしまった。
島からパリに戻ると、僕はシャンゼリゼの老舗カフェ「フーケ」で行き交うパリジャン、パリジェンヌたちをじっくり観察した。冬のパリを歩く人々は、デニムにドレッシーなコートを羽織ったりしていて、またしても僕を驚かせた。あの頃は、日本でそんな着こなしをしている人なんて誰もいなかったのだ。「ここには、こう着なきゃいけないというタブーなんてないんだ、そして生活の中にファッションがある」。僕なりにそんな結論を導き出し、すぐさまレ・アールの古着屋で、さっき見たようなコートをごく安価で入手した。パリが僕の中のファッションへの関心を目覚めさせた瞬間だった。