時計王・松山 猛&ビームス・西口修平が語る
「僕たちがヴィンテージウォッチを愛する理由」
過日、MEN’S EXでも“時計王”としてお馴染みの松山 猛氏と、ビームスF ディレクター西口修平氏による初めてのトークイベントがビームス 六本木ヒルズで行われた。テーマは「ヴィンテージウォッチ」。服好きでも知られる時計のプロと、時計好きでも知られるファッションのプロとの対談というユニークな企画は大いに観客を惹きつけたが、ここにその内容を再現してお伝えしよう。
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何十年を経ても修理できる。それが大きな魅力
西口 時計業界の重鎮として知られる松山さんですが、そもそも時計に興味をもたれたきっかけは何だったのでしょうか?
松山 実はもともと僕は、時計を身に付けたくないと思っていたクチなんです。時間に縛られるのが嫌に思えてね。でも、美術学校を卒業して社会に出ると、“ちゃんとした人”に見せるために時計を身につけないとなという考えも生まれてきた。そんな折、初めてアメリカ旅行に行った先で、1940~50年代のヴィンテージウォッチを目にしたんです。それが気に入って、こういう時計ならしてみたいなと思って購入したのが腕時計の原体験ですね。1972年、25歳のときだったかな。ちなみにグリュエンのトノー型時計でした。
西口 それは奇遇! 僕も初めてのヴィンテージウォッチはグリュエンのものでした。昔から古い映画が好きで、ハンフリー・ボガートなどにあこがれていたのですが、’40~’50年代のアメリカ映画に登場する時計は角形が多いんですよね。それが格好いいなと印象に残っていて、関西に住んでいた時に手に入れたんです。
松山 ‘40~50年代は時計のデザインにおける黄金時代といえますよね。
西口 おっしゃるとおりです。ところで、松山さんが初めて機械式時計を入手されたのは’70年代初頭とのことでしたが、当時、機械式時計はどのように評価されていたのでしょうか?
松山 1969年に起こったクオーツ・ショックの直後でしたから、当時はコレクターズ・アイテムとはみなされていませんでしたね。でも、僕の目にはとても魅力的に映った。こんなに小さな箱の中に、人間の叡智が詰まっていると感じたんです。それで機械式時計を集めるようになっていき、雑誌にも機械式時計に関する記事をたくさん書きました。でも当時はクオーツがもてはやされていたから、時代に逆行する“クオーツの敵”なんて言われたこともありましたね。結果的には、’80年代半ばあたりからは機械式時計の再評価が進んで、そこから今につながっていくわけですが。
西口 さすが、先見の明をお持ちです。ちなみにどれくらいの本数をコレクションされているのでしょうか?
松山 今は随分整理してしまったので、ポケットウォッチと合わせて50本くらいかな。でも昔は、本当に数え切れないほど持っていました。一日に100本時計を買ったりしたこともあった。
西口 一日100本!
松山 でも、壊れて動かないジャンク品も含めてですね。資料用や部品取り用に保有していました。西口さんはどれくらいお持ちなのですか?
西口 だいたい15本くらいでしょうか。でも中には、もう動かなくなってしまったものもあります。
松山 修理すればまた動きますよ。機械式時計というのは、壊れても必ず直せるのが魅力のひとつなんです。電子部品は生産停止になってしまったらそれで終わりですが、機械式時計の部品は職人が作ることもできますから。でも、もしかしたら近い将来、そういった職人も絶えてしまうかもしれないけれど……。
西口 クラフツマンシップのすばらしさを改めて実感しますね。