
機械式時計を日本にもたらした人々に感謝
幕末の日本へスイス製の時計を携え、ビジネスチャンスを切り開こうと遙か遠くのヨーロッパから、海を渡ってきた若きスイス人がいた。
時計ファンなら多くの人がその名前を聞いたことがあるだろう、フランソワ・ペルゴその人である。当時のスイスはまだ日本と国交や通商がなく、シンガポールで機会をうかがい、フランスのパスポートを得ての日本上陸だったという。
当時の日本はまだ西洋的な時制ではなく、先駆者としての時計輸入は苦労が多かったと思われるが、日本にスイス製の近代的な時計を広めるのに大きく貢献してくれたのだった。彼が横浜に商館を開いて間もなく、スイスの時計一大産地であるニューシャテル州から、エメ・アンベールを団長とするビジネス・ミッションが来日し、その時にも彼らを親身になってサポートしたという。
だが残念なことにフランソワは48歳の時、志半ばで病に倒れ、若くして横浜の地で亡くなってしまう。日本に身寄りもない彼のために、ミッションのメンバーとして来日した後も日本に残り、ビジネスを成功させたジェームス・ファブル・ブランドという人物が、親交のあったフランソワの墓を横浜元町の外国人墓地に作ってあげたのだと聞く。

そのフランソワの命日である12月18日に、今年も横浜元町の時計店「コモンタイム 横浜元町本店」の田中孝太郎社長や、ジラール・ペルゴの日本総代理店であるソーウインド ジャパンの呼びかけで、たくさんの人々が参集してお墓参りをし、そののちにお茶会が開かれたのた。