傑作時計の肖像
型にはまりたくない紳士にしっくり馴染む傑作デザイン
セカンドストラップと交換すれば印象激変
日本に最初にブティックを開いてから50周年を記念して発売される日本限定の「サントス ドゥ カルティエ」は、3針モデルもクロノグラフモデルも、ともにスマートリンクシステムとクイックスイッチを搭載し、簡単に付属のセカンドストラップとの交換が可能だ。写真は3針モデルに付属のアリゲーターストラップをつけたところ。ぐっとクラシックな雰囲気が強まった。
【前編はこちら】:傑作時計の肖像「カルティエのサントス ドゥ カルティエ」 【前編】
History of SANTOS DE CARTIER
サントス ドゥ カルティエの歴史
1875-1942
カルティエ三代目当主のルイ・カルティエ(1875-1942)。優れた芸術家でもあった彼が「サントス」のデザインを手がけた。
1911
「サントス」の誕生は、洒落者としても知られたブラジル人の飛行家、アルベルト・サントス=デュモンの声に応えたものだった。世界で初めての実用腕時計として1904年に生まれた「サントス」。1911年には「サントス ドゥ カルティエ」として正式に市販される。
1978
1978年にメタルブレスレット付きのモデルが初登場。それまでのカルティエにないゴールドとスティールの大胆な組み合わせも話題に。
腕時計の歴史を切り開いたルイ・カルティエの先見性
1847年にパリで創業した世界屈指の名門ジュエラーであるカルティエが、腕時計というジャンルの開拓者でもあることは、時計好きなら先刻ご承知のはず。
カルティエが腕時計という未開の分野に挑戦したのは、3代目のルイ・カルティエが先見の明のある生粋のモダニストだったからだ。ルイの時代のカルティエはすでに各国王室の御用達となり、「王の宝石商にして、宝石商の王」と称えられていたが、一方で彼は腕時計制作のイメージを胸に温めていたようだ。当時は懐中時計が紳士のステータスシンボルで、腕時計といえば高貴な女性の装飾品、もしくは懐中時計を無理やり腕にくくりつけた軍用装備品しかなかった。だからこそ、もっとモダンで実用的な本格腕時計を作りたかったのだろう。
夢の実現に向けて背中を押したのは、友人であるブラジル出身の富豪、アルベルト・サントス=デュモンだ。お洒落なことでパリ社交界で名を馳せていた彼は、じつは飛行機の開発と操縦に情熱を燃やす冒険者でもあった。そしてルイに「飛行中、時間を確認するたびに懐中時計をポケットから取り出すのでは操縦がおぼつかない」と訴えたのだ。
これに応えてルイは本格的に動き始める。じつはルイは、のちにジャガー・ルクルトを創設する時計師、エドモンド・ジャガーと親交があった。そして、ルイのイメージをエドモンドが形にし、世界初の実用的な腕時計を1904年にサントスにプレゼントする。これが今に続く「サントス」ウォッチのルーツ。伊達男の腕に輝く角型の腕時計はたちまち当時のパリジャンの羨望の的となり、1911年には「サントス ドゥ カルティエ」として正式に商品化したのだ。
永遠に魅力が褪せないモダニズムデザインの極致
以降「サントス」はカルティエの代表作として世界的に人気を博すわけだが、これにはルイが手がけたデザインの功績も大きい。懐中時計は丸型だから、その発展型である腕時計も丸型にしたほうがたやすいはず。しかしルイはスタイルの美しさや新しさにこだわり、あえてシャープな角型ケースを採用。そしてベゼルにはビス留めデザインを取り入れた。これは風防ガラスが割れた時、交換を容易にするための機能的ディテールだったが、ピュアなデザインの中で絶好のアクセントとなっていた。
ちなみにこのビス留めベゼルは後年の時計デザイナーにも大きな影響を与え、とくにラグジュアリースポーツウォッチと呼ばれるジャンルでは似たようなデザインを採用したモデルが多く見受けられる。そういう意味では「サントス」はラグスポの源流と言っても過言ではないだろう。1978年にはシリーズ初のメタルブレスレットモデルが登場するが、いま改めてこのモデルを眺めると、さらにその思いを強くする。
世界初の実用的な腕時計というだけでなく、デザイン的にも時代の最先端を走り、今なおその魅力がまったく薄れない「サントス」。型にはまりたくない男たちが、この時計に魅了され続けるのは当然のことなのかもしれない。
お問い合わせ先
カルティエ カスタマー サービスセンター TEL0120-301-757
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