マセラティの“隠れた黄金期”に登場したフラッグシップ、カムシンの受難(前編)【時代を造ったクルマたち vol.01】

bool(false)
Facebook
Twitter
友だち追加

>> この記事の先頭に戻る

ジウジアーロが手掛けた初代ギブリ
ジウジアーロが手掛けた初代ギブリ。ロングノーズ・ショートデッキ、低い全高のファストバックスタイルを備えた、流麗なFRのクーペ&オープンであった。

ジョルジェット・ジウジアーロの筆によるギブリの誕生は1966年。そのスタイリングに古さは全く感じられないものの、リーフ・リジットのリア・アクスルなどそのメカニズムは旧態依然としたものとなっていた。1968年にシトロエン傘下となったマセラティは、ミッドマウントエンジンのボーラを皮切りにラインナップの刷新を図った。シトロエン傘下時代のマセラティに関して語られることは少ない。そして、経営危機を引き金にシトロエンが突然マセラティから撤退したという事件から、あまりポジティブなイメージが残されていないのも事実だ。しかし当時はそれまでと比べものにならない多額の投資が行われ、潤沢な開発資金が投入され、マセラティは企業として大きな成長を遂げた。それは隠れた黄金時代と言ってもよかった。

インテリア

カムシンはギブリのシャーシをベースとしながらも各部がアップデートされ、マセラティの量産モデルとして初めてベルトーネがそのスタイリングとボディ製造を担当した。当時のモデナ産スポーツカーメーカーはデザインスタジオや製造施設を持たず、もっぱらトリノにあるカロッツェリア(デザイン&ボディ製造工房)へそれらをアウトソーシングしていた。フツウに考えればギブリの後継としてジウジアーロにスタイリングを任せるのが順当であろうが、実は当時、ベルトーネ以外にボディ製造に関する充分なキャパシティを持ったカロッツェリアが無かったのだった。ピニンファリーナはフェラーリとの関係が強かったし、ギアはデ・トマソ パンテーラの生産で手いっぱいであった。

今日は何する?何着る?

365DAYS今日のVゾーン

2022

VOL.334

Summer

  1. 2
3
LINE
SmartNews
ビジネスの装いルール完全BOOK
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE
pagetop