
その後、ファッションに本格的にのめり込んだきっかけを教えてください
「中学3年生の頃にプレッピーの第1次ブームが到来しました。ファッション誌でプレッピーが取り上げられて興味を持ったのがきっかけです。このとき、ボタンダウンシャツ、コットンパンツ、ローファーなどを初めて目にしました。友達のなかにも、そういったアイテムを身につける人たちがいて、ファッションを意識し始めたんです」。

「友人のお兄さんがTAKE IVY(※)を持っていて、それを見たときに衝撃を受けまして。プレッピーブームではありましたが、TAKE IVYのスタイルの方がかっこいいなと思い出したのがその頃。高校一年生頃ですかね。原宿界隈から始まった古着ブームもあり、高校生になると夏休み、冬休みは東京へ行き、古着屋を回るのが恒例行事になっていました(笑)。古着に関心を持つきっかけになったのは1981年発行のブルータスの1950年代スタイル特集。ここで自分のスタイルが芽生えました」。
※1965年に発行されたアイビースタイルを紹介した本。2011年にハースト婦人画報社から復刻されている
学生時代の様子は?
「クラブ活動やイラストに打ち込んでいたわけでもなく、中学生の後半からは遊びとファッションばっかりでした。高校時代は勉強もせずに(笑)。最初のスーツ体験は高校2年。ダンスパーティみたいなものがあって、シルバーグレーのコンポラスーツに細いナロータイを締めて行ったのが初めてでした。そういうときは、自分の一番好きな着こなしで集まるのが普通だったんです。パーティにツイストマラソンという企画があって、これは、ずっとかっこよく踊り続けた人が最後まで残れるというもの。疲れが見えると、肩をたたかれて退場させられます。それで1位になって(笑)。景品がアメリカ製の安っぽい水筒だったなぁ、なんて思い出があります」。
ツイストはどこで?
「当時、東京でもムーブメントがあって。ホコ天などでの集まりもあったでしょ? アメリカの1950年代、1960年代スタイルが流行っていて、パーティやライブもあり、そんな場所には足を運んでいましたので。古着やアイビー好きの人たちが、そんなことを楽しんでいました」。

古着への興味は続きましたか?
「雑誌で古着の話などが紹介されていて、ブームになっているのを知り、古着屋を巡るようになってからは1950年代、60年代の古着一色。アメリカのビンテージファッションにのめり込んで。高校を卒業したら東京の古着屋で働きたいというくらいに好きになってしまいました」。
高校卒業後、上京されたわけですね。最初は古着屋のアルバイトですか?
「アルバイトではなく社員です。『両親は好きなことをすればいい』と、言ってくれていました。働いていたのは、いまはなくなった原宿のボイスという有名店です。いつもコンディションのよいものが揃っていて高校時代から一番好きな古着屋でした。取り扱いのメインはカジュアル。ボタンダウン、ビンテージのレーヨンシャツ、ハワイアンシャツ、軍モノの放出品など。そのなかにジャケット、コートも置いてありました。マドラスチェックやシアサッカーのジャケット、ステンカラーのコートといった、アイビー路線のアイテムもあり、TAKE IVYの世界の本物につねに触れられるのがうれしかったですね」。

ボイスにはどれくらい勤務されたんですか?
「ボイスで働いたのは2年弱ですかね。そのあとアパレル企業の金万(カネマン)に入社して、ハリスというフレンチトラッドブランドで働きました。百貨店の販売に派遣されたものの、当時はDCブランド全盛で、フレンチトラッドに目を向ける人が少なくて……。黒づくめのスーツが大人気の時代でしたから、売れなくて苦労しました。私自身はDCブランドにはほとんど関心がなくて、スーツやジャケットを少し買った経験があるくらいです。買ったといっても、選んだのはメンズビギやタケオキクチなど、ビンテージテイストの感じられるものでした」
アパレル勤務の次はどうされましたか?
「ハリスの仕事をしたのも2年くらいだったでしょうか。次に21歳から22歳の間、知り合いの勧めで銀座のショットバーのバーテンダーになったんです(笑)。同時期に趣味でイラストを描き始め、原宿のSWITCHというお店の壁画の募集に応募したら、受かっちゃって。SWITCHはモッズテイストのショップでロンズデールのTシャツとか、ロークのスリッポン、キャバーンのとても細いスーツなんかを扱っていて好きなお店でした」。

いよいよイラストのお仕事が本格化ですね
「その頃、青山のミックスというクラブに時々、足を運んでいました。ミックスは夜12時くらいまでは照明が明るめで、壁面に若手アーティストの作品を展示するギャラリーも兼ねていたんです。ミックスの方がSWITCHの壁画を見てくれて『うちで働かない? ギャラリーも兼ねているから、アーティストとの交流もできるし』と声を掛けてもらいました。それで、銀座のバーテンダーからミックスに転職したんです。それが22歳の終り頃ですね」。
ミックスでのお仕事の様子を教えてください
「従業員として雇っていただき、ギャラリーのブッキング(スケジュール管理)や、店内でバーテンをしていました。あとは自分のイラストでフライヤー作りも。お酒を作りながら、アーティストとの交流もできて、溜まった自分の作品の展覧会もさせてもらって。すると、徐々に仕事が舞い込むようになったんです。有楽町マリオン(東京都千代田区)の14mの巨大なウインドを『ハロウィンのイラストで埋めてみませんか』と声を掛けてもらったり、渋谷の宇宙百貨で雑貨を作ったり、宇宙百貨が運営していたギャラリー(現在の渋谷のオルガンバーの場所にあった)で個展を開いたり。イラストレーターとしての活動が増えていったので、24歳の時、ミックスを退職して本格的にイラストの道へ進みました」。

このお写真、ブロマイドみたいですね
「バンドをしていたころですね。24歳のから30歳手前までバンド活動をしていました。ラテンバンドだったんですよ。担当はボーカルとパーカッション。渋谷のクラブクワトロなどでライブもしていて、CDも1枚出しました。それで食べていこうと思っていたわけでなく、半分趣味みたいなものでした(笑)」。

当時のファッションは?
「28〜29歳あたりにスーツのオーダーをし始めました。ボストンテーラーでオーダーをしていて。(1996年発行のブルータスを見ながら)これ30歳になったばかりの時で、ブルータスに掲載してもらっていますね。テーラーで仕立てている人の特集ページかな。趣味的なオーダースーツの紹介企画です。当時、ボストンテーラーで仕事をしていた、山本(祐平)さん(テーラーケイド代表)に作ってもらっていました。スーツを着て遊びに行くのが、かっこよかった時代です。1990年代の頭はジャズイベントなどが盛り上がっていて、スーツを着るのが流行っていました。クラブではDJの方々も今西祐次さんのプラネットプラン(※)のスーツをよく着ていましたね。ミュージシャンの田島貴男さん、ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション(U.F.O.)の方たちが、スーツを着ていたのも覚えています」。
※今西祐次さんは1980年代、メンズビギのチーフデザイナーを務めたことでも知られるファッションデザイナー。プラネットプランは同氏によるスーツを中心としたブランド。
お好きな路線にブレがありませんね
「そうですね。1950〜60年代のスタイルがずっと好きで。自分に一番親しみのあるジャンルからブレることがありませんでした。でも、マニアックなものを着たり、集めたりしているかと言うと、そうでもなくて。時代のシーンにしっかり似合っていないとイヤなんです。衣装みたいになるとカッコ悪いので、時代の空気を捉えることは常に意識しています」。

「20歳代後半にビスポークの世界を知ってからは、より深い部分に入ってしまったかなと。本格的にブリティッシュスタイルを教えてくださったのはバタクの中寺(広吉)さんで、30歳代に入ってからですかね。そこから知識を得て、50歳を超え、ビスポークのクラシックなスーツが、ようやくサマになってきたかなと思います」。
オーダースーツの思い出をお聞かせください
「オーダーだからと言って、きわどい注文を付けず、長く着られるものばかりを上手に作っていただいてきました。最初にイメージだけを伝えたら後はお任せです。プロにあれこれと口出しするよりも、イメージを伝えるだけのほうがいいかなと。たとえば、コットンスーツを着たアンディ・ウォーホルの写真を見せて『こんな感じです』と伝えると、お店の方が上手に、そこをくみ取ってくださるので。あとはパンツのタックはどうしますか? といった細かい点で、自分の好みを伝えるだけですね。長年のつきあいもあって、私のサイズの黄金比を分かっていただいているので、ちゃんといいバランスのものが出来上がってきます。いまは主にバタクさんで作ってもらっています」。

昔、着ていた洋服はどうされていますか?
「ほとんどが古着だったので、それほど執着していません。20歳代に着ていたものは、体型も変わって着られなくなっていますし。スーツは10年、20年と着ますけれど、カジュアルなものは、シーズンごとにいいものを見つけて、数年で手放すことも。コレクターではないので、着ないものを何年もとっておくことはしませんね。それよりも、好きな方に差し上げる方がいいんじゃないでしょうか」。
世の中のファッションの流行をどう見ていますか?
「クラシコイタリアのころは、イタリアンなものを、あまり着ることがなかったですね。いま、ブリティッシュが好きといっても、昔のままのブリティッシュスタイルを着たいとは思っていなくて、自分に馴染む形、東京で着て似合う雰囲気を意識します。着丈はお尻半分以上隠れるバランス、肩はナチュラルなものが好き。最近は、襟幅を広くするのがお気に入りです。それなりに年を重ねたからか、そんなものが似合うようになってきました。年齢的にビスポークのときも、いまの自分の年代に一番似合うものが作りたい。パンツのラインが細くなったり、裾幅が広くなったりなど、ディテールも年齢に応じて、微妙に変わりますね」。
コラム:ソリマチさんをファッションチェック!
イラストと洋服の関係について教えてください
「30歳代手前ごろからファッションイラストレーションと言うジャンルに携わるようになりました。絵は我流なので、特にファッションイラストレーションを勉強したわけではないんです。ビスポークスーツを作り出してから、少しずつ描き方が変わりました。自分で着て、見て。スーツを知ると、より本格的に見える描き方がわかります。ディテールやシルエットの表現などですね。スーツと言う趣味の中から覚えていきましたね」。
ファッションの好みが、青春時代のままだったり、流行を追いかけすぎたりという方は多いのではないだろうか。その点、クラシックを愛好しながらも、時代の雰囲気を踏まえて装いをアップデートする感覚は、ぜひお手本にしたい。ファッションイラストレーションも時代に合わせて変化していかなくてはいけないものだけに、ソリマチさんの作品が多くの人から高く評価されているのは当然だ。
次にソリマチさんの作品を目にする機会があれば、全体の雰囲気や構図、色使いのみならず、描かれた装いにも目を向けてほしい。きっと、ファッション通なら気付くディテールが見つかるに違いない。
撮影/小澤達也(Studio Mug) 取材・文/川田剛史