矢部克已の「ニッポン、いい店(ショップ)いい工場(ファクトリー)#9」福島 -リオ・ビアンコ

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大手シャツブランドの子会社として誕生したシャツ工場。しかし、順調だった親会社の倒産を機に、自立を余儀なくされる。独立できたのは、なによりも卓越した技術の蓄積とものづくりへの飽くなき探求。最高のドレスシャツづくりにいまも邁進する、福島の実力派メーカーだ。

リオ・ビアンコ
検査と仕上げを経て完成した、袋詰めされる前のドレスシャツ。左右の襟先(剣先)がしっかりと身頃に着地した形状から、完成度の高さが見て取れる。タイを締めたとき、襟の形を立体的に見せる、前立て部分のいせ込みも完璧である。

今月のいい工場(ファクトリー)
福島 – リオ・ビアンコ

矢部克已さん

教えてくれる人
ファッションジャーナリスト
矢部克已さん

メンズファッション誌編集部を経て渡伊。本国の服飾文化を吸収して帰国。ピッティ・ウォモを欠かさずに取材。常に「ファッションの現場」が気になるいま、この連載に力を込める。

シャツづくりの激戦地、福島で仕立てる巧みなドレスシャツ

大手セレクトショップのシャツを手がける名工場店

JR新白河駅からタクシーに乗って約15分。広大な畑を抜けると、真っ白い壁を緑で縁取った清々しい建物の前に到着した。門に掲げた「RIO BIANCO」という欧文が印象的だ。

【歴史】

1990年、東京のシャツブランド「ハミルトン」の100%子会社としてスタートした。社名は、工場のある白河をイタリア語に翻訳して命名。白=ビアンコ、河=リオで「リオ・ビアンコ」とした。白河の地は、古くから多くのシャツメーカーがものづくりを競い合ってきた。昭和40年代、小中学生の制服が一般化すると、ワイシャツの需要が増え、白河はシャツの一大生産拠点となったのである。「リオ・ビアンコ」は創業から’98年まで、「ラルフ ローレン」のボタンダウンシャツをつくり続けてきた。

【転機】

’98年、親会社があえなく倒産。本来なら子会社の「リオ・ビアンコ」も閉鎖するはずだが、当時、工場長を務めていた、現社長斎藤修夫(のぶお)氏の父親が社を引き取った。培ってきた技術をみすみす絶やすわけにはいかない、と2002年に「リオ・ビアンコ」は再出発を果たしたのである。

すそ部分の三巻縫い。ミシンで曲線をスムースに縫い上げる技術は圧巻。かつて、'シャツづくりの花形'と呼ばれたパートである。

すそ部分の三巻縫い。ミシンで曲線をスムースに縫い上げる技術は圧巻。かつて、'シャツづくりの花形'と呼ばれたパートである。

<b>Nice Sewing!</b><hr style='margin-bottom:20px'>シャツの顔となる襟づくりのパートは、腕利きの職人7名が担当する。正確なパターンから裁断された、台襟と襟羽根の縫製。芯地はしなやかなフラシを使う。

Nice Sewing!
シャツの顔となる襟づくりのパートは、腕利きの職人7名が担当する。正確なパターンから裁断された、台襟と襟羽根の縫製。芯地はしなやかなフラシを使う。

<b>Nice Detail!</b><hr style='margin-bottom:20px'>生地と芯地を縫い合わせたカフは、専用の作業台を使い手仕事で1枚1枚表面にひっくり返していく。

Nice Detail!
生地と芯地を縫い合わせたカフは、専用の作業台を使い手仕事で1枚1枚表面にひっくり返していく。

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